覆

覆（ふく）とは

覆（ふく、梵: mrakṣa、ムラクシャ）は、仏教の教えにおいて衆生を苦しめる心の汚れ、すなわち煩悩（ぼんのう）の一つとして挙げられています。この煩悩は、特に自身の過去の過ちや行ってしまった罪業を、他者から隠し、秘匿しようとする心の状態や行為を指します。

覆の本質と動機

「覆」の本質は、自己が犯した過ちや罪を認めず、それを隠蔽しようとする点にあります。なぜ人は自らの非を隠そうとするのでしょうか。それは、多くの場合、自己の利益が損なわれることへの恐れや、何らかの不利益を被ることを回避したいという強い思いが根底にあるからです。

例えば、地位や名誉を失いたくない、叱責や罰を受けることを避けたい、人間関係が悪化することを恐れる、といった個人的な損失を回避しようとする心理が、「覆」の行為へと駆り立てます。自らの行いの責任から逃れ、一時的にでも平穏を保ちたいという利己的な願いが、真実を覆い隠すという結果を生み出すのです。

隠蔽がもたらす結果

仏教の教えによれば、このように自己の過ちや罪を隠蔽しようとする行為は、決して恒久的な解決にはなりません。たとえ一時的に隠し通せたとしても、その罪業は消えることなく、必ず後になって隠した本人に深い後悔や悲しみとなって降りかかるとされています。

これは、カルマ（業）の法則や、心の内に抱え込んだ罪悪感が自らを苛むといった精神的な側面、あるいは遅かれ早かれ真実が露呈するという現実的な側面など、様々な理由が考えられます。仏教では、過ちを隠すこと自体が新たな苦しみを生み出す種となり、内なる平安を著しく妨げる行為であると捉えられています。

仏教各派における分類

「覆」は、仏教のさまざまな学派において、煩悩体系の一部として位置づけられています。

古い部派仏教の一つである説一切有部（せついっさいうぶ）が立てた、衆生の心と物質の構成要素を分析する五位七十五法（ごいしちじゅうごほう）においては、「覆」は心を曇らせる煩悩性の法である随煩悩（ずいぼんのう）の一つと見なされ、中でも小煩悩地法（しょうぼんのうじほう）というグループに分類されています。

また、大乗仏教の唯識派（ゆいしきは）における重要な論書である『大乗百法明門論（だいじょうひゃくほうめいもんろん）』では、心を清らかさから遠ざける百種類の法の中に「覆」が含まれています。ここでは、煩悩を根本煩悩と随煩悩に分け、さらに随煩悩を大・中・小の三つに分類していますが、「覆」はこのうち小随煩悩（しょうずいぼんのう）の一つとして位置づけられています。

これらの分類は、「覆」という煩悩が衆生の心をどのように曇らせ、どのような他の心の働きと関連しているかを体系的に理解しようとする試みです。

まとめ

「覆」は、自己の過ちを利益や不利益への恐れから隠そうとする煩悩であり、その行為は必ず後に後悔や悲しみをもたらすと説かれています。自己の非を認め、それに正直に向き合うことの重要性を示唆する教えと言えるでしょう。仏教の煩悩論において、「覆」は自己欺瞞が引き起こす苦しみの根源の一つとして明確に指摘されているのです。

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