読書するマグダラのマリア

『読書するマグダラのマリア』：15世紀フランドル絵画の傑作

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが15世紀に描いた『読書するマグダラのマリア』は、初期フランドル派の重要な作品の一つです。この作品は、もともと大きな祭壇画の一部でしたが、後に裁断され、現存するのはその一部です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されており、その精緻な描写と深い精神性が高く評価されています。

作品の概要

この絵画は、読書に没頭するマグダラのマリアを描いています。マリアは、透き通るような肌、高い頬骨、楕円の目を持つ、当時理想とされた上流階級の女性として表現されています。彼女の足元には香油壷が置かれており、これがマグダラのマリアであることを示しています。マリアは過去の罪を悔い改め、観想的な生活を送る人物として描かれ、その静謐な雰囲気は見る者を魅了します。

ファン・デル・ウェイデンは、マリアの衣服の質感、ロザリオの水晶、室内の様子など、細部にわたり非常に精緻な描写を施しています。背景は当初、暗色で塗りつぶされていましたが、後の修復によって、マリアの後ろに立つ男性とひざまずく女性、そして窓越しの風景が蘇りました。これらの人物像は、絵画が裁断されたために一部しか残っていませんが、オリジナルの祭壇画の構成を推測する手がかりとなっています。

オリジナル祭壇画の復元

『読書するマグダラのマリア』の他に、カルースト・グルベンキアン美術館には、聖ヨセフの頭部を描いた『聖ヨセフの頭部』と聖カタリナを描いたとされる『聖女の頭部』が所蔵されており、これらがオリジナルの祭壇画の断片であると考えられています。また、ストックホルムの国立美術館には、オリジナルの祭壇画を模写したドローイングが所蔵されており、このドローイングから『読書するマグダラのマリア』が祭壇画の右側部分であったことが判明しました。

マグダラのマリアの表現

この作品で描かれるマグダラのマリアは、複数の聖書に登場する人物像を混成したものです。彼女は、キリストの足元でみ言葉に耳を傾けたベタニアのマリアと同一視され、「観想的生活」を象徴する存在として描かれています。ファン・デル・ウェイデンは、マリアを敬虔な若い女性として表現し、書物に没頭する姿を通じて、彼女の内面の静けさを表現しています。

美術史家のローン・キャンベルによれば、マリアが読んでいる書物は「13世紀ごろのフランスの聖書のよう」に見え、「間違いなく聖なる書物」であるとされています。当時の絵画作品で読書する女性を描いたものは少なく、文字を読めるということが、彼女が上流階級の出身であることを示唆しています。

マリアの象徴性

マリアの足元には、香油壷が置かれています。これは、マリアがキリストの墓に香料を持参したという福音書の記述に基づくもので、彼女を象徴するシンボルとなっています。マリアの衣服の描写にも注目すべき点が多く、特にローブの裏地の毛皮は、中世において女性の官能を象徴するとされていました。この表現は、マグダラのマリアが娼婦であったという当時の解釈を反映していると考えられています。

ファン・デル・ウェイデンは、マリアの唇や衣服、毛皮の質感など、細部にわたる詳細な描写によって、作品にリアリティと深みを与えています。また、上方からの光の効果も入念に計算されており、ロザリオのビーズや本の留め具などに、光と影の美しい表現が見られます。

祭壇画の構成

ストックホルムの国立美術館が所蔵するドローイングから、オリジナルの祭壇画には聖母子と聖者たちが描かれていたことが分かります。ドローイングには、司教、福音記者ヨハネ、聖母マリア、洗礼者ヨハネなどが描かれており、『読書するマグダラのマリア』は、祭壇画の右側部分であったことが示唆されています。

オリジナルの祭壇画は、少なくとも縦1メートル、横1.5メートルはあったと考えられていますが、正確な大きさは不明です。1955年に『読書するマグダラのマリア』の背景が修復されたことにより、カルースト・グルベンキアン美術館所蔵の『聖ヨセフの頭部』との関連性が明らかになりました。

作品の寓意

この作品におけるマグダラのマリアは、罪を悔い改め、キリストの慈悲を象徴する存在として描かれています。彼女は涙と読書を通じて、信仰を深めていく人物として表現され、ルネサンス期の芸術家たちによって広く描かれるようになりました。読書する女性としてのマリアの表現は、15世紀半ばのヨーロッパにおける家庭的な女性の識字率や、女性信徒の増加を反映したものと考えられます。

制作年代と来歴

オリジナルの祭壇画は、1435年から1438年ごろに制作されたと考えられています。ファン・デル・ウェイデンは1435年にブリュッセルの公式画家に任命されており、この祭壇画はそれ以降に描かれた作品であるとされています。

ファン・デル・ウェイデンは、生前には成功した画家でしたが、17世紀になるとその名前は忘れ去られてしまいました。しかし、19世紀初頭に再評価され、現在では初期フランドル派の巨匠として広く知られています。

『読書するマグダラのマリア』は、1811年の即売会で初めて記録され、その後、多くの画商やコレクターを経て、1860年にロンドンのナショナル・ギャラリーに購入されました。この作品は、15世紀美術の傑作として、今日まで高く評価されています。

まとめ

『読書するマグダラのマリア』は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの卓越した画力を示すだけでなく、当時の宗教観や社会、美術様式を映し出す貴重な作品です。精緻な描写、象徴的な表現、そして深い精神性は、見る者を時代を超えて魅了し続けています。

この作品は、美術史における重要な作品であると同時に、人間が抱える罪、悔悛、信仰といった普遍的なテーマを私たちに問いかけます。ファン・デル・ウェイデンの卓越した技巧と深い洞察力によって描かれたこの絵画は、これからも長く人々に愛され続けることでしょう。

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