逃げた女

逃げた女：日常と心の葛藤を描いた、静謐な物語

ホン・サンス監督の『逃げた女』は、2020年公開の韓国映画です。第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞（監督賞）を受賞した本作は、結婚5周年を迎えた花屋を営む女性ガミの、ある週末の出来事を静かに丁寧に描き出しています。

物語は、夫の初めての出張中、ガミがソウル郊外に住む3人の友人たちを訪ねる場面から始まります。5年間一度も離れたことのない夫との関係、そして「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉が、彼女自身の心の内を複雑に揺さぶります。

最初に訪れるのは、離婚経験のある面倒見の良い先輩、ヨンスンです。ヨンスンの複雑な結婚生活や、隣人との些細なトラブル、そして近所の若い女性の話など、ガミは様々な人間関係の断片に触れていきます。野良猫への餌やりを巡るトラブルや、防犯カメラに映る若い女性の影、そして隣家の鶏のケンカなど、一見些細な出来事が、日常の中に潜む人間関係の摩擦や葛藤を浮き彫りにします。

次に訪れるのは、裕福で気楽な独身生活を送るピラティスのインストラクター、スヨンです。スヨンは最近知り合った建築家の男性と出会い、その男性が既婚者で妻と別居中であることを知ります。さらに、ストーカーまがいの若い男性が現れ、スヨンの生活に影を落とします。このエピソードは、現代社会における女性の不安定な立場や、人間関係の複雑さを象徴的に示唆しています。

そして最後に訪れるのは、ミニシアターやイベントスペースを運営するウジンです。ウジンは、ガミに謝罪します。それは、かつてガミから恋人を奪ったという過去への懺悔でした。その元恋人は、今や売れっ子の作家チョン先生となり、偶然にもその日、ウジンの仕事場であるイベントで講演会を行っていました。

再会したチョン先生とのぎこちない会話。ガミは、過去の恋愛、そして現在の結婚生活、そして友人たちとの出会いを通して、自身の心の奥底に隠された感情と向き合うことになります。映画館で見た海辺の映像は、退屈さと平穏さを同時に感じさせる、ガミの複雑な心境を表しているかのようです。

キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョクら実力派俳優陣の繊細な演技も相まって、『逃げた女』は、現代女性の複雑な感情や、日常の中に潜む人間関係の機微を静かに、そして深く描き出した作品となっています。一見、平凡な出来事の連続のようでありながら、その奥底には、現代社会における女性の生きづらさや、人間関係の脆さ、そして自己と向き合うことの難しさが静かに描かれています。

この映画は、華やかな展開や派手な演出はありません。しかし、日常の些細な出来事や、登場人物たちの心の機微を丁寧に描くことで、観る者に深い余韻を残す、静謐で美しい作品です。ガミの選択、そして彼女の未来は、観客一人ひとりに委ねられることになるでしょう。 それは、まさに現代社会を生きる私たち自身の姿と重なり合う、そんな作品と言えるでしょう。

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