闇に香る嘘

闇に香る嘘：光を失った男と、謎に包まれた兄の物語

下村敦史氏のデビュー作にして第60回江戸川乱歩賞を受賞した『闇に香る嘘』は、満州で生まれ育ち、41歳で失明した村上和久の物語です。戦中・戦後の苦難を経験し、視覚を失った和久は、妻にも娘にも見放され、孤独な日々を送っていました。そんな中、中国残留孤児として日本に帰国した兄・竜彦との再会を果たしますが、その兄の言動に違和感を覚え始めます。

和久は腎臓病を患う孫娘への腎臓移植を希望しますが、検査の結果、適合せず。娘からも冷たく突き放されます。さらに追い打ちをかけるように、国家賠償訴訟を起こしている兄から訴訟費用を無心され、疲弊しきった和久は、兄に腎臓移植の検査を頼もうと岩手の実家に向かいます。久しぶりの家族との温かい時間の中、和久は兄に検査の協力を求めますが、兄はそれを拒否。和久は兄の不可解な行動に疑問を抱き始めます。一体なぜ兄は移植を拒むのか？そして、兄は本当に自分の兄なのか？

和久の疑念は、かつての開拓団仲間への聞き込み調査によって深まります。仲間から、兄にはあるはずの火傷の痕がないことを知らされたのです。その頃、和久のもとには「本物の兄」を名乗る男からの電話と、不気味な点字の俳句が次々と届き始めます。和久は、失明した自身の記憶の曖昧さと、兄の正体、そして届く点字の俳句が、複雑に絡み合った謎解きへと足を踏み入れていきます。

物語は、満州開拓団時代から現代まで、和久の視点を通して展開されます。彼の失明、家族との確執、兄との複雑な関係、そして謎めいた出来事が、読者を深い闇へと引き込んでいきます。和久の記憶の曖昧さと精神的な不安定さも、物語に緊張感と深みを与えています。

本書は、単なるミステリー小説にとどまりません。満州開拓団という歴史的背景、中国残留孤児問題、家族間の葛藤、そして人間の心の闇といった、様々なテーマが複雑に織り込まれています。和久の視点を通して、読者はこれらのテーマについて深く考えさせられます。

登場人物たちの個性も鮮明に描かれています。盲目のカメラマンであった和久の鋭い観察眼、謎めいた兄竜彦、そして周囲の人々との関係性など、緻密な描写によって物語にリアリティが与えられています。和久の精神状態や記憶の曖昧さを丁寧に描写することで、読者は彼の苦悩をより深く理解し、物語に感情移入することができます。

『闇に香る嘘』は、9度目の応募で江戸川乱歩賞を受賞したという事実からもわかるように、著者の並々ならぬ努力と情熱が感じられる作品です。選考委員からは「相対評価ではなく、絶対評価でA」という高い評価を得ており、その高い完成度がうかがえます。また、出版後には「週刊文春ミステリーベスト10」で第2位、「このミステリーがすごい!」で第3位にランクインするなど、高い評価を受けています。

この小説は、単なるミステリーとしてだけでなく、家族やアイデンティティ、そして歴史と社会問題を深く見つめ直すきっかけを与えてくれる、奥深い作品です。 盲目の主人公の視点を通して描かれる、複雑に絡み合った謎と真実、そして人間の心の深淵を、ぜひご堪能ください。

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