音楽 (小説)

音楽

三島由紀夫の長編小説『音楽』は、精神分析医である「私」と一人の女性患者との不思議な交流を描く作品です。物語は、心理的な問題を抱える麗子という女性と、彼女の深層心理を探る医師、汐見和順の視点から進行していきます。精神的な症状を抱えながらも、麗子はその内面の秘密に苦しみ、汐見は彼女の心の奥深くに潜む人間の本質に迫ろうとします。

作品の背景と発表

『音楽』は1964年に雑誌『婦人公論』に連載され、その後1965年に単行本として出版されました。この作品は、三島自身の内面的な問いや社会に対する視線が色濃く映し出されたものでもあります。作品は、彼が同時期に抱えていたニヒリズムや人間の存在に対する疑問を基に、精神分析の理論に挑む形で構成されています。

あらすじ

物語は、秋の日に始まります。日比谷で開業する精神分析医・汐見和順の元に、美しい女性患者である弓川麗子が訪れます。彼女は、食欲不振に加え、「音楽が聞こえない」という不思議な症状を訴えていました。麗子は甲府市出身で、親から許婚として決められた又従兄によって、強制的に処女を奪われてしまいます。彼女は東京で貿易会社の事務員として働き、現在は恋人・江上隆一とも関係を持っていました。

麗子は、次回の診断で「音楽が聞こえない」という言葉の裏に隠された真の意味が、江上との性行為で「オルガスムスを感じない」という感情であることを告白します。彼女は江上を愛しているものの、性行為における不感症に悩み、彼から離れられるのではないかという恐れに悩まされていました。

再診の中で、麗子は医師に手紙を書き、幼少期の記憶や心理的な夢にまつわるエピソードを語ります。彼女は時折、自らのトラウマに触れ、その秘密を汐見に打ち明け始めます。麗子には、10歳年上の美しい兄がいましたが、彼にまつわる不幸な出来事が二人の関係に影を落としていました。特に、彼女は兄に一度愛撫されたことや、兄と伯母との肉体関係を目撃した記憶に苦しんでいました。

ある日、麗子は突然診療所に現れなくなります。彼女は許婚の又従兄が重病であると知らされ、彼の看病のために甲府に戻ることを決意したのです。その後、彼女は「音楽」を聞くことができたと手紙で伝えますが、これが物語の大きな転機となります。

精神分析と家族の秘密

物語の進行は、麗子が自らの心の内側に存在する感情と真実と向き合う過程を描いています。汐見は麗子を治すために、彼女の兄を探し出すことに決めます。その背景には、兄への未練や愛情、そして近親相姦的な恐怖が横たわっています。兄の存在が麗子の心理にどれほど深く影響を与えているのか、物語はその探究を続けます。

雪の降る中、ついに兄と再会することとなった麗子は、彼がかつての美男子からすっかり変わり果て、みすぼらしい状態になっている姿を目のあたりにします。彼女の心理には「兄の子供を生みたい」という欲望が潜んでおり、同時に兄を自らの母胎に受け入れたいという根源的な願望も浮かび上がります。この再会が彼女に与える影響は劇的で、彼女の心の中での葛藤はさらに深まります。

結末

物語のクライマックスでは、麗子が自らの本当の感情と向き合い、最終的には兄との再会を経て、江上と結婚する道を選ぶことになります。この結末は、麗子の成長や自己理解の象徴でもあり、彼女が過去を乗り越え、新たな人生を歩む準備が整ったことを示しています。

評価と影響

『音楽』は、娯楽性の強い作品でありながら、三島由紀夫の深い思索や社会に対する批判が込められています。特に、精神分析の観点からの人間性の探求や性の問題が取り上げられ、多くの読者にとって考えさせられるテーマとなっています。

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