駈込み訴え

太宰治の短編小説『駈込み訴え』：愛憎渦巻くユダの叫び

『駈込み訴え』は、文豪太宰治の代表的な短編小説の一つです。特徴的なのは、その執筆形態です。本作は、太宰治本人の口述を、妻である美知子さんが筆記して完成した作品なのです。美知子さんの後年の回想によれば、太宰治の激しい感情と複雑な心理状態が、そのまま作品に反映されていることがわかります。

物語は、新約聖書に登場するイスカリオテのユダを主人公としています。ユダは、イエス・キリストを裏切ったことで知られています。しかし、『駈込み訴え』では、単なる裏切り者としてのユダではなく、イエスへの愛憎に苦悩する人間の姿が克明に描かれています。

作品全体を通して、ユダはイエス・キリストへの強い不満、時に憎悪とも取れる感情を吐露します。イエスの言動に失望し、裏切られたと感じているユダの心情は、読者に痛いほど伝わってきます。イエスの「薄情さ」「嫌らしさ」といった表現を用いることで、ユダの激しい怒りや悲しみを鮮やかに表現しています。

しかし、本作は単なるイエスへの批判や非難にとどまりません。ユダ自身の心の葛藤、自暴自棄な状態が、複雑に入り組んで描かれています。愛と憎しみ、信頼と裏切り、様々な感情が混在し、ユダ自身も自身の感情を把握しきれていない様子が伺えます。読者は、ユダの混乱と悲痛な叫びに、深く心を揺さぶられることでしょう。

重要な点として、ユダが「どこに」「誰に」訴えているのかは、作品中では明かされていません。この曖昧さが、かえってユダの絶望的な状況を際立たせ、読者の想像力を掻き立てます。

太宰治は、別の作品である『姥捨』の中で、「ユダの悪が強ければ強いほど、キリストのやさしさの光が増す」と記しています。この言葉は、『駈込み訴え』におけるユダの激しい感情と、対照的に描かれるイエスの存在を理解する上で重要な示唆を与えてくれます。ユダの苦悩を通して、イエスの存在や、人間の善悪、信仰といった普遍的なテーマが問われていると言えるでしょう。

『駈込み訴え』は、単なる宗教的な物語ではありません。人間の心の闇、愛と憎しみの複雑さ、そして絶望的な状況の中でなお訴え続ける人間の強さを描いた、太宰治文学を代表する傑作です。朗読CDやドラマ、舞台など、様々な形で現代に受け継がれ、多くの人々の心を捉え続けています。 その影響力は、出版から長い時が経った今でも衰えることを知りません。

関連作品

新潮カセットブック『駈込み訴え・走れメロス』（新潮社、1988年2月）
ドラマ「太宰治短編小説集「駈込み訴え」」（2010年9月27日、NHK BS2）
舞台「JUDAS, CHRIST WITH SOY ユダ、キリスト ウィズ ソイ 〜太宰治『駈込み訴え』より〜」（2015年10月、HONMOKU AREA-2）

関連項目

女の決闘 (短編集)
* イスカリオテのユダ

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