駸々堂

駸々堂（しんしんどう）の歴史

駸々堂は、明治14年（1881年）に大淵渉によって京都で創業された書店兼出版社です。創業当初は「書肆駸々堂」として寺町通で書店業と出版業を営み、後に大阪へと本社を移転しました。創業から平成12年まで、五代にわたり約120年もの間、日本の出版文化を支え続けました。

創業と初期

初代店主である大淵渉は、安政元年（1854年）に京都で生まれました。元僧侶であった彼は、明治維新の変革期に、それまでの仏教界のあり方に疑問を持ち、出版の世界へ足を踏み入れます。店名の「駸々」は、中国の古典『詩経』に由来し、馬が疾走する様子から転じて、物事が進展するという意味が込められています。この名前には、渉の革新的な出版への情熱と、時代の変化を捉え、事業を推進していくという強い意志が表れています。

渉は、明治10年に田中なみと結婚。なみは、近江膳所藩の士族の娘であり、その教養と聡明さで駸々堂の経営を支え続けました。二人の間には実子がなかったため、なみの妹の娘シゲを養女とし、婿養子として炭谷伝次郎を迎えました。以降も直系の男子が生まれなかったため、婿養子が続くことになります。

出版活動

駸々堂の出版物は、文芸書、講談速記本、演劇雑誌、探偵小説、滑稽雑誌、法律解説書、旅行案内、地図、絵葉書、書道雑誌、辞書、教科書準拠問題集、学習参考書、文楽・能写真集など多岐にわたります。時代のニーズを的確に捉え、幅広いジャンルの出版物を手がけることで、多くの読者の支持を得ていきました。特に、明治時代には、尾崎紅葉、巖谷小波、村上浪六、黒岩涙香といった新しい才能の著書を世に送り出し、文学界にも大きな影響を与えました。

渉は、江戸時代の戯作者たちとも親交があり、仮名垣魯文や三世柳亭種彦の作品集も刊行しています。また、大阪の文芸書の先覚者として、坪内逍遥との交流も深く、彼の作品の出版も手がけました。初期の出版活動では、宇田川文海との出会いが大きく、彼との共同で「絵入人情　美也子新誌」を創刊しました。この雑誌には、仮名垣魯文が序文を寄せています。

創業初期の駸々堂は、京都の寺町にありましたが、約2年半後には大阪の心斎橋へ進出します。これは、より多くの読者に書籍を届けるための戦略的な決断でした。大阪に進出する際、渉は眞敬寺の継嗣問題を解決し、法洞を養子に迎えて後を託しています。

店舗展開

駸々堂は、最盛期には京都・大阪・神戸を中心に約30店舗を展開しました。特に、心斎橋店は旗艦店として、多くの人々が訪れる場所でした。また、平成7年に開店した神戸三宮店は、約3千平方メートルもの売り場面積を誇り、当時の書店としては最大規模でした。

大阪エリアでは、心斎橋店をはじめ、梅田店、南千里店など、多くの店舗がありました。京都エリアでは、京宝店や三条店、ポルタ店などが知られています。また、奈良や神戸にも店舗を構え、関西圏における書店としての地位を確立しました。店舗は書籍だけでなく、文房具も扱い、地域の人々の生活に密接に関わっていました。

兎屋との安売合戦

大阪進出の2年目には、東京の書店である兎屋との書籍安売合戦がありました。松方デフレによる不況の中、価格競争が激化し、一時的に出版業界全体が混乱する事態となりました。しかし、この騒動は、最終的には兎屋が廃業したことで終結しました。

新文学の開拓

明治20年代には、尾崎紅葉ら新進気鋭の文学者たちとの交流が深まり、新文学の出版に力を入れました。坪内逍遥の紹介で尾崎紅葉と出会い、彼の作品を出版するようになりました。また、硯友社のメンバーとの交流を通じて、新たな文学の潮流を築き上げました。駸々堂は、新文学の旗手たちの作品を世に送り出すことで、出版業界における存在感を高めていきました。

探偵小説シリーズの刊行

黒岩涙香の推理小説を翻訳・翻案した「探偵小説」シリーズは、当時の読者に大きな人気を博しました。駸々堂は、春陽堂に次いでこのシリーズを刊行し、推理小説ブームの一翼を担いました。

民法解説書のヒット

明治31年に刊行された『改正　戸籍法註解』『改正　日本民法正解』は、法律解説書として異例のヒットとなりました。これらの書籍は、法律を学ぶ人々にとって貴重な教材となり、駸々堂の出版活動をさらに拡大させる要因となりました。弁護士の乾吉次郎との出会いも、この出版を成功させた重要な要素です。

鉄道の売店と旅行案内

駸々堂は、鉄道駅構内での売店展開も行っていました。また、時刻表や運賃表を収録した『鉄道航海　旅行案内』は、ロングセラーとなり、旅行者にとって欠かせないアイテムとなりました。これは、鉄道網が全国に広がる中で、人々の旅行ニーズに応えるものでした。

第5回内国勧業博覧会

明治36年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会では、案内書『大阪と博覧会』の製本販売所として選ばれ、日刊の「場内日報」を発行しました。この博覧会は、大阪の発展を象徴するイベントであり、駸々堂もその一翼を担いました。

日露戦争実記と東京支店

日露戦争が勃発すると、駸々堂は『日露戦争実記』を刊行し、大きな反響を呼びました。また、東京にも支店を開設し、事業の拡大を図りました。東京支店の責任者は、渉の義理の甥である村松章が務めました。

創業者の死

明治40年5月12日、創業者である大淵渉は、54歳でその生涯を閉じました。彼の死後、駸々堂は2代目店主である炭谷伝次郎に引き継がれます。

2代目店主 炭谷伝次郎

炭谷伝次郎は、徳島出身で、駸々堂には奉公人として入店し、婿養子として大淵家を継ぎました。彼もまた、駸々堂の発展に大きく貢献し、特に浪曲速記本『大和桜義士の面影』はベストセラーとなりました。また、「大正文庫」を企画するなど、新たな出版分野を開拓しました。

晩年とその後

駸々堂は、その後も五代にわたり経営が続けられましたが、平成12年に120年近い歴史に幕を閉じました。しかし、その功績は、日本の出版史に深く刻まれており、現在でもその名前を知る人は多くいます。

駸々堂が手がけていた中学受験向けの模擬試験は、五ツ木書房が運営を引き継ぎ、「五ツ木・駸々堂中学進学学力テスト会」として現在も運営されています。

駸々堂は、創業者の大淵渉の革新的な精神を受け継ぎ、時代の変化に対応しながら、日本の出版文化を支え続けた偉大な出版社でした。その歴史は、今もなお、多くの人々に語り継がれています。

もう一度検索