1RXS J160929.1-210524

1RXS J160929.1-210524（以下、1RXS 1609）は、地球からおよそ470光年離れた、さそり座の方向にある恒星です。この星は非常に若く、まだ主系列星になる前の段階にある前主系列星に分類されています。その若い年齢を示す証拠として、天体を構成するリチウムの組成、X線放射の強度、そしてヘルツシュプルング・ラッセル図上での位置などが挙げられます。これらの特徴から、1RXS 1609は、周辺に広がる若い星の集まりであるさそり座-ケンタウルス座アソシエーションの一部、特に上部さそり座小グループに属していると考えられています。

中心星である1RXS 1609自体のスペクトルを分析した結果、太陽より温度が低い赤色矮星であることが分かっています。スペクトル型はK7からM0の間に位置すると推定されており、表面温度はおよそ4,000K強です。質量は太陽の8割から9割程度と見積もられています。上部さそり座グループは非常に年齢が若いため、太陽程度の質量を持つ星であっても、まだ主系列段階へ進化しておらず、1RXS 1609のようなより質量の小さな星は、前主系列の段階にとどまっていると考えられています。このグループの年齢については、当初500万年と推定されていましたが、その後の詳細な分析によって1100万年へと修正されました。1RXS 1609も同程度の年齢であるとされています。

この星系で特に注目されているのは、その周囲を公転する伴天体1RXS J160929.1-210524 b（以下、1RXS 1609 b）の存在です。この伴天体は、2008年9月にジェミニ北望遠鏡を用いた直接撮像観測によって初めて検出が報告されました。画像に捉えられた当初、この天体の質量は木星のおよそ8倍と推定され、中心星1RXS 1609から非常に離れたおよそ330AU（約500億キロメートル）の距離にあるとみられました。発見者たちは2010年に追加観測を行い、1RXS 1609 bの固有運動を詳しく調べることで、この天体が実際に1RXS 1609の重力に束縛されており、その周囲を公転していることを確認しました。

1RXS 1609 bの発見は、いくつかの点で画期的でした。一つは、母星からこれほど大きな軌道距離を公転する天体の中で、当時知られていた最も質量の小さな天体であったことです。また、直接撮像という手法によって、恒星の周囲を回る惑星質量の天体として初めて発見された事例となったことも重要です。これ以前に直接撮像で捉えられていた惑星質量の天体候補は、単独で宇宙空間を漂う自由浮遊惑星であったり、褐色矮星の周囲を公転する天体（例えば2M1207 b）であったり、あるいは惑星よりも褐色矮星である可能性が高いとされていた天体でした。

しかし、1RXS 1609 bが発見された後、所属する上部さそり座グループの年齢推定値が上方修正されたことにより、1RXS 1609 bの推定質量も影響を受け、当初の木星の8倍からおよそ14倍程度へと増加しました。これは、星系の年齢が古くなったことで、低質量天体の進化理論に基づいた質量推定値が大きくなったためです。この質量の増加により、1RXS 1609 bが惑星ではなく、褐色矮星である可能性が浮上しました。褐色矮星は、恒星になりきれなかった天体で、多くは連星形成と似た過程で誕生すると考えられています。その後の観測や分析でも、1RXS 1609 bの質量は木星の12倍から16倍の範囲と推定されており、これは惑星と褐色矮星の境界領域に位置する値です。さらに、1RXS 1609 bからは、中心星よりもはるかに大きな減光が見つかっており、これは天体の周囲に星周円盤が存在することを示唆しています。このような顕著な星周円盤は、惑星には通常見られない特徴であり、褐色矮星であることを支持する証拠の一つとされています。

分光観測による詳細な分析からは、1RXS 1609 bのスペクトル型はL2からL4の間、表面温度はおよそ1,700Kから2,000K、そして光度は太陽の約0.03%から0.04%程度と推定されています。これらの物理的性質も、褐色矮星に近い特徴を示しています。

1RXS 1609 bが母星から非常に遠い軌道に存在するという事実は、現在の惑星系形成理論に大きな疑問を投げかけています。標準的な惑星形成シナリオである「核への降着」過程では、これほど遠い距離で惑星が形成されるには、推定される母星の年齢よりもはるかに長い時間が必要になってしまうからです。この問題を回避する可能性の一つとして、惑星がより母星に近い位置で形成された後、原始惑星系円盤や他の惑星との重力的な相互作用によって、現在の遠い軌道へと移動したという説が提唱されています。また、原始惑星系円盤が自己重力によって分裂する「重力不安定性」によって、直接現在の位置で形成されたという仮説もありますが、このためには異常に質量の大きい原始惑星系円盤が必要となります。さらに、伴天体が褐色矮星である可能性が高まったことで、惑星形成とは異なる、連星系の形成メカニズムで誕生した可能性も議論されています。

1RXS 1609星系は、特に巨大な軌道を持つ低質量伴天体の形成過程や、惑星と褐色矮星の分類境界に関する研究において、現在も重要な観測対象であり続けています。その特異な性質は、多様な天体形成シナリオの理解を深める上で貴重な情報を提供しています。

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