びろーん

「びろーん」という言葉は、文脈によって全く異なる複数の意味を持つ興味深い表現です。主に、古典的な妖怪の呼び名、著名なタレントのギャグ、そして裁判速報に用いられる垂れ幕という三つの事柄を指す際に使用されます。

まず、日本の伝統的な妖怪の一つである「塗仏（ぬりぼとけ）」の異名として「びろーん」が用いられることがあります。江戸時代に描かれた妖怪絵巻などに見られるこの妖怪は、腐敗が進んだ仏像のような姿をしているとされ、その特異な外見から様々な呼び名が存在しました。「びろーん」もその一つとして、この妖怪の姿や雰囲気を形容する際に使われたと考えられています。

次に、「びろーん」は、昭和期に人気を博したコメディアンであり、ミュージシャンでもある谷啓氏（たに けい、1932-2010）が考案し、多用したギャグの一つとしても知られています。植木等氏らとともに音楽バラエティ番組などで一世を風靡した「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーとして活躍した谷氏は、「ガチョーン」と並んで「びろーん」を自身の代表的なフレーズとして頻繁に用い、多くの人々に親しまれました。彼のユーモラスなキャラクターと相まって、この言葉は一時期、流行語のように使われたこともあります。

そして、「びろーん」が最も象徴的に使われるのは、裁判における判決結果を迅速に外部へ伝えるために用いられる、布製の白い手持ちの垂れ幕を指す俗称としてでしょう。この垂れ幕には、言い渡された判決（例えば「懲役三年」「無罪」など）が太い筆文字で大きく記されており、これを示すことで判決内容を一目で伝える役割を果たします。

この垂れ幕を用いた速報の歴史は古く、かつて日本では1960年代頃まで、特に注目される裁判の判決言渡しが行われた際、報道関係者などが裁判所の建物内の窓から、あらかじめ用意しておいたこの垂れ幕を外に向かって垂らすという手法が広く行われていました。裁判所の外には多くの報道陣や一般市民が判決を待ち構えており、窓から垂らされた幕を見ることで、その場で迅速に結果を知ることができたのです。この光景が、垂れ幕が「びろーん」と垂れ下がる様子を連想させたことから、垂れ幕自体を「びろーん」と呼ぶ俗称が生まれました。

しかし、裁判所内における秩序維持の観点から、窓からの垂れ幕掲出は問題視されるようになりました。当時は、裁判所の敷地内や建物内で、裁判とは直接関係のない個人的な主張を示すビラを撒いたり、看板を掲示したりする行為も頻発しており、こうした混乱を防ぎ、裁判が静穏かつ公正に行われる環境を確保する必要が生じていました。こうした背景を受け、最高裁判所は1968年、裁判所の建物内からの垂れ幕掲出行為を正式に禁止する通達を出しました。

建物内からの掲出が不可能となった後も、判決結果の速報ニーズは依然として高かったため、報道関係者や裁判関係者は別の方法を模索しました。そこで定着したのが、判決が言い渡された直後、裁判に関与した弁護士や関係者が、判決内容を確認した垂れ幕を持って裁判所から建物外へ駆け出し、敷地外などで垂れ幕を掲げるという手法です。弁護士は判決文を迅速に読み解き、結果を垂れ幕に記して、文字通り走りながら外へ向かうことで、待ち構える報道陣や支援者らに第一報を伝えます。

この「走る弁護士」による垂れ幕掲出は、現在も日本の裁判報道における象徴的な光景として見られます。裁判所の敷地内では、職員が垂れ幕の掲出を制止しようとすることがあるため、この役割を担う弁護士には迅速な行動力とある程度の体力が必要とされます。そのため、チームの中で比較的若く、足が速い弁護士がこの任務を任されることが多い傾向にあります。しかし、事案によっては、長年の経験を持つベテラン弁護士が自ら垂れ幕を持って走ることもありますし、裁判の当事者である原告や、傍聴席で結果を見届けた関係者が自主的に垂れ幕を掲げて周囲に伝えるというケースも稀に存在します。

このように、「びろーん」という言葉は、妖怪、ギャグ、そして裁判速報という、全く異なる三つの領域で用いられてきた多義的な表現であり、それぞれの文脈において独特の文化や歴史的背景を伴っている言葉と言えます。

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