対価

約因と代償

英米法において、契約が法的に有効であると認められるためには、単に当事者間の合意が存在するだけでは不十分であり、「約因（consideration）」と呼ばれる特定の要件が満たされる必要があります。約因は、契約を単なる社交的な約束事や一方的な贈与、あるいは道徳的な義務と区別し、法的な拘束力、すなわち裁判によって強制し得る性質を与える基礎となる重要な概念です。そして、この約因を構成する具体的な要素や、契約によって得られる見返りを指す言葉として、「代償」という語が関連してきます。本稿では、英米法上の約因の概念を中心に据え、契約における代償との関係性について掘り下げて解説します。

約因（Consideration）とは

約因の核心は、「交換の対価」あるいは「互恵的な取引（bargain）」にあります。つまり、一方の当事者が何らかの約束をする見返りに、相手方から何らかの価値あるものを受け取るか、または相手方が何らかの不利益（権利の放棄や行動の抑制など）を引き受ける、という相互のやり取りが存在することです。これは、単に過去に行われた行為に対する感謝の表明や、一方的な意思表示とは区別されます。約因は、約束が「交換の対価として与えられた」という事実によって、法的な裏付けを得るのです。

約因の主な要件

約因として法的に有効であると認められるためには、いくつかの要件があります。

価値の存在（Value）： 約因は、法的に認識可能な価値を持つものでなければなりません。これは、金銭、財産、役務（サービス）、権利、権利の放棄など、広範なものが含まれます。ただし、その価値が客観的に見て市場価格と同等である必要はありません。法廷は原則として価値の「十分性（adequacy）」には介入せず、たとえわずかな価値であっても、それが約因として交換されたものであれば足りるとされるのが一般的です。価値の「存在」が重要なのであって、その「大きさ」は原則として問われません（ただし、形式的な約因は例外）。
交換の対価であること（Bargained-for Exchange）： 約因は、約束に対する「交換」として提供されなければなりません。すなわち、約束をしたのは約因を得るためであり、約因を提供したのは約束を得るためである、という相互依存的な関係が必要です。単に約束をした後に一方的に与えられたものや、約束とは関係なく行われた行為は、約因とは認められません。
既存の義務でないこと（Pre-existing Duty Rule）： 既に法的に負っている義務を果たすことは、原則として新たな約因とは認められません。例えば、警察官が職務として犯人を逮捕する約束をしても、それは新たな約因とはなり得ません。これは、新たな対価を提供することなく、既存の義務を果たすことを約束しても、相手方は新たな利益を得ているわけではない、という考えに基づきます。
過去の約因でないこと（Past Consideration）： 約束をするよりも前に完了していた行為は、原則としてその約束の約因とは認められません。約束は、それと交換される約因を得るために行われなければならないため、既に完了した行為は、約束と交換された対価とは見なされないからです。

「代償」との関連性

「代償」という言葉は、しばしば契約や取引において提供される「見返り」や「対価」を指すために用いられます。この意味において、契約における「代償」は、英米法上の「約因」を構成する具体的な内容そのものであることがあります。例えば、売買契約であれば、買主が支払う金銭が売主の約束（物の引き渡し）に対する「代償」であり、これが約因となります。賃貸借契約であれば、借主が支払う賃料が貸主の約束（物件の使用許可）に対する「代償」であり、これも約因を構成します。このように、「代償」は契約によって当事者が受け取る、経済的あるいはその他の価値ある利益を指し、それが約因の要件を満たす場合に、法的に有効な契約の要素となります。

しかし、「代償」という言葉は、必ずしも厳密な英米法上の約因の概念と完全に一致するわけではありません。例えば、損害に対する補償金や、単なる損失の穴埋めなども「代償」と呼ばれることがありますが、これらが全て法的な契約における約因となるわけではありません。約因となる代償は、前述の要件、特に「交換の対価」として提供されるものである必要があります。

約因の重要性

約因は英米法契約法の根幹を成す概念であり、有効な約因を欠く約束は、原則として法的な強制力を持たず、無効とされます。これにより、安易な約束に法的な義務が生じることを防ぎ、当事者が真に意図した交換関係に基づく合意のみに法的な効力を与えるという役割を果たしています。ただし、「禁反言（promissory estoppel）」のように、約因がなくても一定の条件下で約束が法的に強制される例外的な法理も存在します。

「代償」という言葉は、約因の具体的な内容を指し示す際に有用ですが、法的な有効性を判断する上では、その代償が英米法上の約因の要件を満たしているかどうかが鍵となります。約因と代償の関係性を正しく理解することは、英米法の契約を理解する上で不可欠です。

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