遠い山なみの光

カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』解説

『遠い山なみの光』（A Pale View of Hills）は、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロが1982年に発表したデビュー小説です。舞台は長崎。主人公である女性「悦子（私）」が、イギリスに住む娘ニキの訪問をきっかけに、過去の記憶をたどる物語です。

あらすじ

物語は、イギリスの片田舎で暮らす悦子の元に、娘のニキが訪ねてくる場面から始まります。二人の会話を通じて、悦子は長崎で過ごした若い頃の記憶を呼び起こします。それは、日本人の夫である二郎との出会い、娘の誕生、そしてイギリス人男性との出会いと、イギリスへの移住という人生の転換点です。

悦子は、長女の景子を連れてイギリスへ渡りますが、新しい夫との間に生まれた娘に「ニキ」と名付けます。それは、完全に英国風に聞こえながらも、夫にとってわずかに日本らしい響きを持つ名前でした。しかし、イギリスでの生活は景子にとって孤独なものでした。彼女は次第に心を閉ざし、ついには自ら命を絶ってしまいます。悦子はニキに「彼女はここで幸せになれないだろう」と語ります。

物語の中で、悦子は長崎で佐知子という友人がいたことを語ります。佐知子には万里子という娘がおり、悦子の目には、万里子は孤独で反社会的な少女として映っていました。佐知子はアメリカ兵のフランクと共に万里子をアメリカへ連れて行く計画を立てていたと、悦子は回想します。佐知子の話は、まるで悦子自身の物語を映し出す鏡のようです。物語は、ニキがロンドンへ帰る場面で静かに幕を閉じます。

作品のテーマ

『遠い山なみの光』は、記憶、喪失、アイデンティティといった普遍的なテーマを扱っています。悦子の語る過去の出来事は、彼女自身の心の奥底にある後悔や葛藤を映し出しています。佐知子と万里子の物語は、悦子自身の経験と重なり合い、読者に深い問いを投げかけます。異文化の中で生きることの困難さ、親子の断絶、そして過去の出来事が現在に与える影響など、多層的なテーマが織り込まれています。

映画化

本作は、日英合作で映画化され、2025年9月5日に公開予定です。監督は石川慶、主演は広瀬すずが務めます。また、原作者であるカズオ・イシグロ自身もエグゼクティブプロデューサーとして参加しており、その完成度に期待が高まっています。

キャスト

悦子：広瀬すず（1980年代：吉田羊）
佐知子：二階堂ふみ

まとめ

カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』は、繊細な心理描写と抑制の効いた文体で、人間の心の奥深くに潜む感情を描き出した傑作です。過去と現在が交錯する中で、主人公が見つけ出す真実とは何か。読後、静かな感動と深い思索をもたらすでしょう。

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