駿河城御前試合

『駿河城御前試合』

南條範夫による日本の時代小説。

概要

南條範夫の筆によって、1956年から1962年にかけて複数の雑誌に断続的に発表された連作短編集です。物語は、史実とされる「寛永御前試合」の元になったという設定で、寛永6年（1629年）に駿府城主であった徳川大納言忠長の命により行われた、十一番の御前試合を描いています。形式としては、史実の記録を模倣したモキュメンタリーのような手法が用いられています。

物語に登場する御前試合の結果は、史実の寛永御前試合と同様に、十一番勝負のうち八組で明確な勝敗が決まり、三組が相打ちに終わります。しかし、本作における駿河城御前試合は真剣を用いて行われるため、敗れた剣士は命を落とし、相打ちの場合は両者が死亡するという極めて凄惨な結末を迎えます。この徹底した描写は、南條範夫の代名詞ともいえる「残酷物」という作風を象徴しています。

著者の別作品『武魂絵巻』には、本作の一エピソードとして十一番勝負の概略が記されており、本作の最終話「剣士凡て斃る」で数行触れられている出来事の詳細も描かれています。また、徳川忠長が次第に狂気に陥っていく様子についても、『武魂絵巻』のほうが詳しく描写されています。

本作は長らく絶版となっていましたが、本作の一篇「無明逆流れ」を原作とした漫画『シグルイ』（山口貴由作）が人気を博したことがきっかけとなり、復刊ドットコムでのリクエスト投票を経て、2005年に徳間文庫から復刊版が刊行されました。復刊版の表紙には、『シグルイ』の作画が採用されています。

あらすじと登場人物

寛永6年9月24日、徳川大納言忠長の目前で真剣を用いた上覧試合が開催されました。十一組の対戦が行われ、八組はどちらかの剣士が相手を殺し、残る三組も相打ちで両者が死亡するという、想像を絶する凄惨な内容でした。城内の南広場に敷き詰められた白砂は血に染まり、死の匂いが漂う中、見物していた侍の中には静かに列を離れ、嘔吐する者さえいました。しかし、忠長は終始平然と試合を見届けたと伝えられています。

この試合の凄惨さと忠長のその後の行状から、詳細は記録されず、また語り継がれることも禁じられたとされます。しかし、その場に居合わせた者が密かに書き残したものが伝わり、「寛永御前試合」として知られるようになったとされています。本作では、その実態が静岡県在住の某氏に伝わる「駿河大納言秘記」という写本によって伝えられたもの、という設定で描かれています。

作中には、各エピソードごとに様々な剣士や人物が登場します。主な対戦カードと人物を以下に紹介します。

無明逆流れ

第一試合は、異形の剣士同士の対決でした。左腕を失った隻腕の剣士・藤木源之助と、盲目かつ跛足の剣士・伊良子清玄。それぞれに美女が付き添う姿や、清玄の奇妙な剣の構えは、見物者を大いに驚かせます。彼らはかつて岩本虎眼という無双の剣豪の門下で「一虎双竜」と謳われた師範代であり、互いに逃れられない因縁を抱えていました。この試合では、伊良子清玄が盲目でありながら編み出した必殺の秘剣「無明逆流れ」が登場します。

登場人物：藤木源之助（隻腕の剣士）、伊良子清玄（盲目跛足の剣士）、岩本虎眼（無双の剣豪）、三重（虎眼の娘、藤木と恋仲）、いく（虎眼の愛妾、清玄の世話役）

被虐の受太刀

第二試合は、駿河藩士・座波間左衛門と女性薙刀使い・磯田きぬの対戦。誰もが間左衛門の勝利を疑いませんでしたが、彼には誰にも知られぬ特異な性癖がありました。それは、容姿端麗な者に斬られることに快楽を見出すというもの。きぬは間左衛門の従兄妹であり、夫を彼に殺害された仇として試合に臨みますが、それこそが間左衛門の歪んだ思惑でした。彼は、受太刀の極意を用いて自らを傷つけさせ、快楽を得た後に相手を殺すという恐るべき剣士でした。

登場人物：座波間左衛門（被虐性癖を持つ剣士）、磯田きぬ（薙刀使いの女性、間左衛門の従兄妹で仇）

峰打ち不殺

第三試合は、温厚で殺生を嫌う剣士・月岡雪之介と、彼に仇討ちを挑む黒川小次郎の対決。雪之介は人を斬ってしまう運命を背負い、それを回避するために「不殺剣」という峰打ちの技を編み出していました。しかし、皮肉にもその存在が家老の興味を引き、御前試合への出場を促されます。小次郎は雪之介を恩人として尊敬する一方で、雪之介と恋仲であった従妹・三重への叶わぬ想いが彼を狂わせ、複雑な因縁の対決へと繋がります。

登場人物：月岡雪之介（不殺剣を編み出した剣士）、黒川小次郎（雪之介に仇討ちを挑む）、三重（雪之介の恋人、小次郎の従妹）

がま剣法

第四試合は、駿河藩槍術指南・笹原修三郎と、城下を震撼させる凶漢・屈木頑乃助の対決。醜悪な容姿を持つ頑乃助は、かつて道場の下男でしたが、剣術の天稟と道場主の娘・千加への叶わぬ恋心から悲劇を引き起こし、独自の剣技「がま剣法」を習得しました。千加の夫となった者たちを次々と殺害した頑乃助に、修三郎が従弟の仇として御前試合での決着を挑みます。

登場人物：屈木頑乃助（醜悪な容姿とがま剣法の使い手）、笹原修三郎（槍術の達人）、舟木一伝斎（頑乃助を拾った道場主）、千加（一伝斎の娘、頑乃助が恋慕）

相打つ「獅子反敵」

午前の部最後となる第五試合。一刀流の秘剣「獅子反敵」を会得した竹馬の友、鶴岡順之助と深田剛乃進の対決。試合前から両者が出場せず騒然となる中、城外で既に死闘が始まっていました。彼らの仲を裂いたのは、青年期に生まれた些細な溝や、誤解、そして複雑な人間関係でした。藩上層部の計らいで御前試合での決着を強いられた二人は、秘剣「獅子反敵」を用いて壮絶な相打ちを演じます。

登場人物：鶴岡順之助、深田剛乃進（一刀流の使い手、竹馬の友）

風車十字打ち

午後の部最初の第六試合は、幕府と藩、それぞれに仕える隠密同士の対決。駿河藩に仕官した津上国乃介と児島宗蔵は、互いの正体を探り合っていました。宗蔵は情報を得るために利用した侍女・あいを殺害し、その罪を国乃介に着せようと画策します。国乃介は、宗蔵が利用しようとした隣家の娘・ふさへの想いと、武士としての意地から、藩の罠と知りつつ宗蔵との御前試合に臨みます。国乃介は忍びとして会得した「風車十字打ち」という手裏剣術の妙技で宗蔵を迎え撃ちます。このエピソードには、徳川忠長の謀反の噂を巡る幕府の暗躍も描かれています。

登場人物：津上国乃介（幕府側の隠密）、児島宗蔵（藩側の隠密）、あい（忠長の侍女、隠密）、ふさ（国乃介が恋慕）

飛竜剣敗れたり

第七試合は、二刀流「未来知新流」を開いた黒江剛太郎の最期を描きます。宮本武蔵とは異なる二刀流として隆盛しつつあった剛太郎の流派は、彼の死によって急速に衰退しました。傲慢な性格を持つ剛太郎は、己の二刀流に絶対の自信を持ち、御前試合での必勝を豪語しますが、彼の運命は既に決まっていました。

登場人物：黒江剛太郎（未来知新流の開祖）、片岡京之介（二階堂流の剣士）

疾風陣幕突き

第八試合は、特殊な槍術「陣幕突き」の実演を兼ねた対戦。神道流槍術の使い手・進藤武左衛門は、陣幕の向こうを見通す心眼によって敵将を仕留める秘術を会得していると豪語していました。彼はこの術を用いて、忠長から逃げようとした娘・千加と、その恋人・佐伯修次郎を殺害します。修次郎の友人である小村源之助は、武左衛門の陣幕突きに不信を抱き、主君の安全と友の仇討ちのため、絶対的に不利な状況で彼に挑みます。

登場人物：小村源之助（判官流剣士）、進藤武左衛門（神道流陣幕突きの使い手）、佐伯修次郎（源之助の友人）、千加（佐伯の恋人）

身替り試合

第九試合は、これまでの剣術試合とは異なり、甲冑を着ての騎馬戦。経験豊富な老藩士・芝山半兵衛が、若手の栗田彦太郎を挑発したことから始まります。しかし、試合当日、それぞれの息子や父が身代わりとなって出場します。鎧兜によって互いの正体に気づかぬまま行われた試合は悲劇的な結末を迎えますが、この試合後にも、それぞれの家でさらなる死闘と悲劇が連鎖的に発生します。

登場人物：芝山半兵衛（経験豊富な老藩士）、栗田彦太郎（若手藩士）、芝山新蔵（半兵衛の息子）、栗田二郎太夫（彦太郎の父）、きよ（二郎太夫の娘、新蔵と恋仲）

破幻の秘太刀

第十試合は、凄腕の剣士「石切り大四郎」こと成瀬大四郎と、藩士・笹島志摩介の対戦。大四郎は石を切ったのは一度きりという秘密と、不貞な妻という悩みを抱えていました。一方、志摩介は数々の秘剣を体得した美形の剣士ですが、彼の秘剣には忌まわしい秘密が隠されていました。

登場人物：成瀬大四郎（石切り大四郎）、笹島志摩介（秘剣の使い手）

無惨卜伝流

御前試合の最後を飾るのは、剣聖・塚原卜伝が開いた新当流とその諸派の代表者同士の試合。しかし、この試合に至るまでに、多くの剣士たちが策略と因縁によって無残な最期を遂げていました。中心となるのは、一羽流の水谷八弥の非道な謀略と、卜伝の血を引き、男を虜にする美貌を持つ阿由女の存在。八弥は、鹿島神宮での野外試合を巡る策略を経て御前試合の出場権を得ますが、阿由女を巡る因縁が、卜伝流の剣士たちの滅亡へと繋がっていきます。

登場人物：水谷八弥（一羽流の策略家）、卜部新太郎（卜伝流の剣士）、阿由女（卜伝の血を引く美女）、卜部晴家（新太郎の父、卜伝流の長老）

剣士凡て斃る

凄惨な御前試合は幕を閉じますが、生き残った数名の剣士たちもまた、過酷な運命に翻弄されます。試合を生き延びた藤木源之助や小村源之助は、密かに磯田きぬに想いを寄せていました。忠長がきぬを側女にしようとしたことから、藤木と小村はきぬを連れて城下から逃亡します。しかし、追手との壮絶な闘いの末、藤木と小村は相討ちとなり、捕らえられたきぬも自害を選びます。試合場に乱入し月岡雪之介を惨殺した謎の剣士・車大膳の存在も描かれます。

作中の用語（特殊な剣技）

無明逆流れ（むみょうさかながれ）：盲目となった伊良子清玄が編み出した魔剣。大地に突き立てた剣を、地を蹴る力を用いて下から垂直に切り上げる技。視覚に頼らず、音や気配を捉えて放たれる。
がま剣法（がまけんぽう）：屈木頑乃助が独自に編み出した剣術。蛙のように低く構え、相手の攻撃を無効化しつつ、無防備な下半身を狙う。重心の概念を利用した独特の間合いが特徴。
峰打ち不殺剣（みねうちふさつけん）：月岡雪之介が殺生を避けるために編み出した技法。相手を斬る直前に刀を反転させ、峰打ちで昏倒させる。
今川流受太刀（いまがわりゅううけだち）：座波間左衛門が会得した剣術。相手の攻撃を全て受けに徹し、疲労や隙に乗じて反撃する。間左衛門は、歪んだ性癖からこの技で自ら傷を負うことを選んだ。
獅子反敵（ししはんてき）：鶴岡順之助と深田剛乃進が用いる一刀流の秘剣。刀を背負うように構え、相手の打ち込みに合わせるように懐に飛び込み斬り込む。俊敏さと剛胆さを要求される技。
風車十字打ち（かざぐるまじゅうじうち）：津上国乃介が得意とする手裏剣術。風車型手裏剣を相手の肩や腰に精密に打ち込む技。
* 神道流陣幕突き（しんとうりゅうじんまくづき）：戦場において、陣幕越しの敵将を槍で仕留める秘術。心眼により陣幕の向こうを見通せるとされた。

関連作品

本作は、その衝撃的な内容から複数の漫画化や映像化がなされています。特に有名なのは、山口貴由による漫画『シグルイ』や、森秀樹による漫画『腕 -駿河城御前試合-』などです。それぞれ独自の解釈やアレンジが加えられています。また、平田弘史による劇画作品や、とみ新蔵（平田弘史の実弟）による漫画、映画化作品なども存在します。

物語の背景にある史実とされる寛永御前試合や、関連作品である南條範夫の小説『武魂絵巻』なども、本作を理解する上で重要な要素となります。

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