Μ10HIsp

μ10HIsp（ミューテンエイチアイエスピー）

μ10HIspは、宇宙航空研究開発機構（JAXA）の宇宙科学研究所（ISAS）によって開発された、先進的な電気推進機の一種です。特に、無電極プラズマ推進器、あるいはマイクロ波放電式イオンエンジンに分類される技術を用いています。これは、深宇宙探査ミッションにおいて、探査機の軌道を変更したり、長時間にわたって速度を増大させたりするために極めて重要な推進システムです。

開発経緯と特徴

μ10HIspは、同じくISASが開発した実績のあるイオンエンジンであるμ10エンジンを基礎として設計されました。μ10は「はやぶさ」探査機で成功を収めた信頼性の高いエンジンですが、μ10HIspではその性能を飛躍的に向上させるための改良が加えられています。最大の特長は、イオンビームを加速する際に印加される電圧を、μ10のおよそ10倍にあたる15 kVにまで高めた点にあります。この電圧の増加により、推進剤から生成されたイオンが噴射される速度が大幅に向上し、結果としてエンジンの比推力が格段に高められました。比推力は推進効率を示す指標であり、これが高いほど少ない推進剤で大きな速度変化を得られるため、特に長期間・長距離のミッションにおいて探査機の質量を大幅に削減できるメリットがあります。μ10HIspでは、最大で10,000秒級という極めて高い比推力を実現しており、これは従来の化学推進ロケットの数倍から十数倍に相当する値です。

技術と仕様

μ10HIspは、推進剤としてキセノンガスを使用します。キセノンは比較的容易にイオン化でき、原子量も大きいため、イオンエンジンの推進剤として広く用いられています。このエンジンは「無電極プラズマ推進器」という方式を採用しています。これは、推進剤ガスをプラズマ化し、生成されたイオンを加速・噴射するという基本的な仕組みは他のイオンエンジンと同様ですが、イオンを生成するために電極を使用しない点が特徴です。具体的には、マイクロ波を用いてキセノンガスを電離させプラズマを生成します。電極を持たないことで、長時間の運転による電極の劣化やスパッタリング（電極材の飛散）といった問題を防ぎ、エンジンの長寿命化に大きく貢献します。これは、数年にも及ぶ深宇宙ミッションにおいて非常に重要な要素となります。

μ10HIspの主な性能仕様は以下の通りです。

タイプ: イオンエンジン / 無電極プラズマ推進器（マイクロ波放電式）
推進剤: キセノン
推力: 約 30 mN（ミリニュートン）
比推力: 最大 〜 10,000 s（秒）、可変
イオンビーム口径: 100 mm
ビーム加速電圧: 15 kV（キロボルト）

推力自体は比較的小さい（数十ミリニュートン程度）ですが、高比推力であるため、長時間連続して加速することで探査機に大きな速度変化を与えることが可能です。

応用計画

μ10HIspは、JAXAが計画している「中型ソーラー電力セイル探査機」の主推進器として採用される予定です。この探査機は、太陽光圧を利用するソーラーセイルと、電気推進を組み合わせたハイブリッド推進システムを特徴としています。計画されているミッションは、木星圏への到達と、そこからさらに木星の軌道上を公転するトロヤ群小惑星を探査することです。地球から木星圏、そしてトロヤ群という長大な距離を航行し、目的地での軌道投入や詳細な観測を行うためには、探査機に搭載できる推進剤の量に制約がある中で、効率的に速度を得る必要があります。μ10HIspの高比推力性能は、このような深宇宙における長期的な軌道制御や速度増大に最適であり、ミッションの実現において中心的な役割を担うことが期待されています。

関連技術

μ10HIspに関連する技術としては、その開発ベースとなったμ10エンジンのほか、無電極プラズマ推進器やイオンエンジン全般が挙げられます。JAXAでは、μ10やμ1など、一連のマイクロ波放電式イオンエンジンの開発・運用実績を積み重ねており、μ10HIspはその技術的な系譜の最新・最高性能モデルの一つと言えます。また、より大型のμ20といった派生型も存在します。

まとめ

μ10HIspは、JAXA/ISASが開発した高性能無電極イオンエンジンであり、特に加速電圧の向上による比推力の大幅な向上が特徴です。キセノンを推進剤とし、電極を持たないことで長寿命化も実現しています。このエンジンは、中型ソーラー電力セイル探査機に搭載され、木星圏やトロヤ群小惑星といった遠方の天体を探査するミッションにおいて、その高効率な推進力で重要な役割を果たすことが期待されています。深宇宙探査における日本の技術力を示す、注目の電気推進システムです。

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