みだれ髪

『みだれ髪』とは

『みだれ髪』は、日本の高名な歌人である与謝野晶子が初めて世に問うた歌集です。1901年（明治34年）8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共同出版として発表されました。その装丁デザインは、洋画家として知られる藤島武二が手掛けたことでも知られています。

この歌集が発表された当時の社会において、特に斬新とされたのは、女性の内面に秘めた恋愛感情や情熱を、極めて率直かつ大胆な言葉で詠み上げた点でした。清らかさや慎ましさが美徳とされた時代に、強烈な官能性や自己肯定を伴う表現は、多くの人々に衝撃を与えました。その内容は、当時の若い世代が抱えていた、因習的な枠組みからの解放を願う内なる声を代弁するかのようであり、明治中期に隆盛を迎える浪漫主義文学運動の確固たる先駆けとして位置づけられています。

創作の背景と世間の波紋

『みだれ髪』に収められた多くの歌は、作者・与謝野晶子と歌人・与謝野鉄幹との激しい恋愛の過程で生まれました。鉄幹は当時、文芸誌「明星」の編集に携わっており、晶子の才能を見出してその投稿を積極的に奨励していました。晶子もまた鉄幹の作品に強い感銘を受けていました。1900年（明治33年）8月に関西で二人は出会い、急速に惹かれ合います。鉄幹はすでに家庭を持ち子もいましたが、晶子との関係のために離婚を決意するという、当時としては異例の行動をとります。この二人の関係は、強い「家」の意識が根付いていた社会においては当然のことながら、激しい非難や中傷の的となりました。特に「文壇照魔鏡」という匿名記事がゴシップを拡散し、裁判沙汰にまで発展します。晶子は、こうした周囲の冷たい視線に立ち向かうかのように、鉄幹への燃え上がるような思いを歌に込め、ついに堺の自宅を飛び出して鉄幹のもとへと上京します。鉄幹は晶子の情熱を受け止め、彼女の歌をまとめて一冊の歌集として編纂し、『みだれ髪』として世に送り出したのです。

構成と主な作品

『みだれ髪』は全399首から成り、以下の六つの章に分けられています。

• - 臙脂紫（えんじむらさき） 98首
• - 蓮の花船（はすのはなぶね） 76首
• - 白百合（しらゆり） 36首
• - はたち妻（はたちづま） 87首
• - 舞姫（まいひめ） 22首
• - 春思（しゅんし） 80首

初版本は晶子がまだ鳳姓であったため「鳳晶子」名義で発表されましたが、歌集発刊直後の1901年10月に鉄幹と結婚し、与謝野姓となりました。

歌集には、現在でも広く知られている歌が多数収められています。例えば、

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

> 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

> やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

> むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子

といった歌に見られるように、人間の感情や肉体に対するストレートな表現は、当時の多くの人々にとって衝撃的であり、保守的な論壇からは厳しい批判を受けました。「此一書は既に猥行醜態を記したる所多し人心に害あり世教に毒あるものと判定するに憚からざるなり。」（「歌の華」明治34年9月号）といった論評がその代表です。

一方で、上田敏のように純粋な芸術作品として高く評価する声もありました。彼は「明星」誌上で、「詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。」と述べ、表現の奔放さに戸惑う者を文芸を理解しない者だと断じ、新しい文学の誕生として熱烈に支持しました。こうした肯定と否定の両極端な評価は大きな話題を呼び、大阪の無名だった一女性歌人を一躍文壇の注目人物に押し上げました。また、恋愛スキャンダルで一時購読者数が減少した「明星」誌も、逆に『みだれ髪』を巡る論争や晶子の歌によって売上を回復させるという現象が見られました。

『みだれ髪』は、その革新的な表現と時代を超えた情熱によって、日本の近代短歌史に indelible な足跡を残しています。1973年には、晶子の孫にあたる与謝野馨（後に内閣官房長官などを務めた）によって主婦の友社から復刊されるなど、後世にも読み継がれています。

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