アレクサンダー・ドライショク

アレクサンダー・ドライショク（Alexander Dreyschock, 1818年10月15日 - 1869年4月1日）は、19世紀のボヘミア出身の著名なピアニスト、そして作曲家です。現在のチェコ共和国にあたる、オーストリア帝国領のジャーキ（Žáky）で生まれた彼は、幼い頃から非凡な音楽の才能を示し、8歳にしてその片鱗を見せていました。本格的な音楽教育を受けるため、14歳の時にプラハに移り住み、当時の著名な音楽家であったヤン・ヴァーツラフ・トマーシェクのもとで、ピアノと作曲の指導を受けました。トマーシェクは当時のプラハ音楽界の中心人物であり、多くの才能ある音楽家を育てており、ドライショクもその一人として頭角を現していきます。

ピアニストとしてのキャリアは、1838年の12月に始まる最初の演奏旅行で本格的にスタートしました。彼はまずドイツ北部や中部の主要都市で演奏を行い、その圧倒的な技巧で聴衆を魅了しました。この成功を皮切りに、彼の演奏旅行はヨーロッパ各地へと広がっていきます。1840年から1842年にかけては広大なロシア帝国を巡り、1843年の春には音楽の都パリに登場しました。その後も1846年にはロンドンやオランダ、オーストリア、ハンガリーといった西ヨーロッパや中欧を訪れ、さらに1849年にはデンマークとスウェーデンといった北欧諸国にも足を延ばすなど、その活動範囲は極めて広範でした。

各地での演奏会で、彼は特に3度、6度、あるいはオクターブを多用した技巧的なパッセージを駆使し、文字通り音楽界に旋風を巻き起こしました。聴衆は彼の演奏に度肝を抜かれ、その名声は急速に高まっていきました。中でも彼の名を最も知らしめ、伝説的な存在たらしめたのは、常人離れした左手の技巧であったと言われています。特に有名な逸話として、フレデリック・ショパンが作曲した練習曲 作品10第12番、通称《革命のエチュード》における、左手の急速なパッセージを、単音ではなくオクターブの連続で、しかもオリジナルの急速なテンポを一切緩めることなく弾きこなしたことが挙げられます。これは当時のピアニストたちにとって想像を絶する難易度であり、多くの証言者がこの偉業を目撃しました。ドライショク自身もこの離れ業をよく承知しており、彼はこの曲を自身の演奏プログラムに頻繁に取り入れていたといいます。1843年のパリ・デビューの際にも、彼は聴衆の前で左手のみによる楽曲演奏を披露し、その驚異的な能力をまざまざと見せつけました。これらの超絶技巧が、彼の演奏家としての評価を確立し、各地での熱狂的な歓迎へと繋がったのです。

演奏家として頂点を極めたドライショクは、教育者としても音楽界に貢献しました。1862年には、著名なピアニスト・作曲家であるアントン・ルビンシテインに招かれ、ロシアのサンクトペテルブルクに新たに設立されたペテルブルク音楽院に教授として加わりました。この音楽院はロシアにおける本格的な音楽教育機関の先駆けであり、ドライショクはその創設期に重要な役割を果たしました。彼は6年間にわたり、この教育者としての職務に加え、ロシア宮廷のピアニストや、帝国オペラ学校の校長という重責も兼任しました。

しかし、多忙な生活とロシアの厳しい気候は、彼の健康を徐々に蝕んでいきました。体調を崩したドライショクは、療養のため1868年に温暖なイタリアへ移り住むことを決意します。しかし、病状は改善せず、移地療養の甲斐もなく、翌1869年4月1日、ヴェネツィアで結核により50歳の若さでその波乱に満ちた生涯を閉じました。その驚異的な左手の技巧で一時代を築いたピアニストの死は、当時の音楽界に大きな衝撃を与えました。遺族の願いにより、彼の亡骸は故郷プラハに運ばれ、埋葬されました。アレクサンダー・ドライショクは、特にその卓越した技巧、中でも左手の驚異的な能力によって記憶されるピアニストであり、その演奏は同時代の人々に深い感銘と驚きを与えました。作曲家としての活動も行っていましたが、彼の名声は圧倒的にピアニストとしての偉業に基づいています。

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