アンドリュー・ワイエス

アンドリュー・ワイエス（1917年7月12日 - 2009年1月16日）は、20世紀のアメリカを代表する画家です。アメリカン・リアリズムの代表的な画家として知られ、戦前から戦後にかけてのアメリカ東部の田舎の風景や、そこに生きる人々を、鉛筆、水彩、テンペラ、ドライブラシなどの技法を用いて、詩情豊かに描きました。彼の作品には、体に障害を持つ女性や、黒人の中高年男性など、社会的に弱い立場の人々に対する優しい視線が感じられます。

特に、人種差別が激しかった時代に、黒人の少年たちと分け隔てなく遊び、その様子を記録していたことは、彼の人間性を象徴するエピソードと言えるでしょう。確かなデッサン力と卓越したテクニックは、20世紀美術の写実表現の系譜において重要な位置を占めており、彼はアメリカの国民的画家の一人として広く認知されています。ワイエスは、「アメリカとは何か」を作品を通して人々に示したかったと語っています。

生い立ちと初期の活動

ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれたワイエスは、幼い頃から絵に親しみ、水彩画を学びました。しかし、姉たちが才能を発揮する中で、家族内で孤立感を抱くこともありました。身体が虚弱だったため、学校教育はほとんど受けず、家庭教師から読み書きを学びました。

1923年に小学校に入学しますが、神経衰弱のため2週間で退学し、その後は家庭教師から教育を受けます。1926年頃から水彩画を描き始め、1932年頃からは近所に住むカーナー夫妻を描くようになり、父ニューウェルのアトリエでも仕事を始めました。1937年にはニューヨークのマクベス・ギャラリーで初の個展を開き、作品は完売しました。1938年には義兄からテンペラ画を学び、1939年には第二次世界大戦で入隊を志願しますが、身体虚弱のため不許可となります。

結婚と家族

1940年に、後に妻となるベッツィ・マール・ジェイムズと結婚しました。同年、最年少でアメリカ水彩画協会の会員となります。1943年に長男ニコラスが、1946年には次男ジェイムズが誕生します。次男のジェイムズも画家となり、通称ジェイミー・ワイエスとして知られています。1945年には、父ニューウェルが交通事故で亡くなるという悲劇に見舞われました。

画家としての成熟

1947年には、アメリカ美術文芸アカデミーとニューヨーク国立美術文芸協会より功労賞を受賞。1950年には結核のため片肺を切除する手術を受けます。その後も数多くの賞を受賞し、1963年にはアメリカ合衆国大統領からメダル・オブ・ドリーム（自由勲章）を授与されました。1965年には、父と次男との親子3代の展覧会を開催し、その後もワイエス家の展覧会は度々開催されました。1966年にはペンシルヴェニア美術館にて大回顧展が開催され、1976年にはニューヨークのメトロポリタン美術館で展覧会を開催しました。1988年には、アメリカ合衆国議会からゴールド・メダル大統領賞に推薦され、1990年に授与されました。2007年には、アメリカ大統領から芸術勲章を贈られています。2009年1月16日、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の自宅で91歳で亡くなりました。

絵画の対象とモデル

ワイエスは、チャッズ・フォードとメイン州クッシングという、自らの生活圏内で出会う人々や風景を描き続けました。そこには、作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローの影響が見られます。1940年、妻に紹介されたオルソン家の姉弟、クリスティーナとアルヴァロをモデルに絵を描き始めました。クリスティーナは、代表作『クリスティーナの世界』のモデルとしても知られています。クリスティーナは身体に障害があり、腕の力だけで移動していたため、作品の中では手が大きく描かれています。ワイエスは、彼女の生命力に深く感動し、30年近くに渡って彼女を描き続けました。

また、友人のウォルター・アンダーソンや、カーナー夫妻など、長年に渡って同じモデルを描き続け、その人物の内面までを表現しようとしました。1971年からは、ヘルガ・テストーフをモデルに描き始め、その数は240点にも及びましたが、その存在は長く公表されず、「世紀の密会」としてスキャンダラスに報道されました。ワイエスの作品は、特定の人物や風景に焦点を当てながら、人間の普遍的な感情や存在を描き出すことに成功しています。

父親からの影響

ワイエスの父、ニューウェルは、息子に絵画の技法を徹底的に教え込みました。正確な描写を重視し、目に見えるものをそのまま描くことだけでなく、見えなくても存在しているかのように描くことを教えました。ワイエス自身は、初期の頃は父の教えとは反対に、粗野で自由な表現からスタートしたと語っています。

父の突然の死は、ワイエスに大きな衝撃を与え、その後の彼の作風にも影響を与えました。事故死から半年後に描かれた『1946年 冬』は、その悲しみを表現した作品とされています。

ヘルガをめぐるエピソード

ヘルガ・テストーフをモデルに描かれた240点もの作品は、妻ベッツィやヘルガの夫も知らなかったという事実が、「15年もの密会」としてスキャンダラスに報道されました。ワイエスがヘルガを描き続けたのは、彼女の外面的な美しさではなく、内面から滲み出る魅力に惹かれたからだとされています。ヘルガの忍耐強さと、忠実にポーズをとり続ける姿勢が、ワイエスにインスピレーションを与え続けたのです。ヘルガをモデルにした作品は、多様なスタイルで描かれており、彼女の様々な側面が表現されています。

主な作品

『ロブスター漁師』(1937年)、『自画像』(1938年)、『ブラック・ハンター』(1938年)、『1946年 冬』(1946年)、『海からの風』(1947年)、『干し草をかき集めるアルヴァロ』(1947年)、『クリスティーナの世界』(1948年)、『踏みつけられた草』(1951年)、『遥か彼方に』(1952年)、『オルソン嬢』(1952年)、『ニコラス』(1956年)、『孫娘』(1956年)、『彼女の部屋』(1963年)、『ガニング・ロックス』(1966年)、『アンナ・クリスティーナ』(1967年)、『アルヴァロとクリスティーナ』(1968年)、『サウナ』(1968年)、『薄氷』(1969年)、『カーナー夫妻』(1971年)、『ローデン・コート』(1975年)、『松ぼっくり男爵』(1976年)、『編んだ髪』(1977年)、『夜の寝台車』(1979年)、『ジャックライト』(1980年)、『ドクター・シン』(1981年)、『雪の丘』(1989年)、『男と月』(1990年)、『結婚』(1993年)、『宙に舞う』(1996年)、『ドリュアスまたは木の精』(2000年・2007年)、『想像の世界』(2002年)、『グッドバイ』(2008年)など、数多くの名作を残しました。

ワイエスは、その写実的な描写と、人間に対する深い洞察力によって、アメリカ美術史に大きな足跡を残しました。彼の作品は、時代を超えて多くの人々に感動を与え続けています。

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