エルネスト・フォン・ケルバー

エルネスト・フォン・ケルバー：オーストリア＝ハンガリー帝国の首相と「ケルバーの平和」

エルネスト・フォン・ケルバー (1850-1919) は、オーストリア＝ハンガリー帝国において重要な役割を果たした政治家です。彼は2度にわたって首相の座に就き、特に最初の在任期間は帝国の歴史において特筆すべき政治的安定をもたらしました。

1850年、当時オーストリア帝国領であったトレント（現在のイタリア）に生まれたケルバーは、ウィーン大学で国家学を修め、1874年に商務省に入省しました。その後、商務大臣、内務大臣を歴任し、1900年に首相に就任します。

当時のオーストリアは、バデーニ言語令を発端とする民族対立、特にドイツ系住民とチェコ系住民の対立が激化し、議会は機能不全に陥っていました。ケルバーは、この複雑な政治状況を打開するために、まず民族間の対話を促進しました。彼は、両民族が受け入れ可能なベーメン地域の言語問題に関する解決策を模索し、妥協点を見出すべく尽力しました。

しかし、ケルバーの取り組みは民族対立の解消だけにとどまりませんでした。彼は、普通選挙制導入によって高まる大衆政治への対応として、積極的な公共事業投資による経済発展を重視しました。運河網の整備、ボヘミア＝トリエステ鉄道、ルヴフ＝ハンガリー鉄道といった大規模なインフラ整備は、彼の在任中に開始されました。これらの事業は、地域間の経済格差を是正し、国民生活の安定化に貢献したと考えられています。さらに、この時期の金融資本形成も相まって、帝国内の経済的平準化が進みました。

外交面においても、ケルバー政権はロシア帝国との協調関係を維持しました。アゲノル・ゴウホフスキ外相による外交努力は、帝国の対外関係を安定させました。こうした内政・外交における安定は「ケルバーの平和」(Pax Koeberiana) と呼ばれ、彼の首相在任期を中心とする時代は、オーストリア＝ハンガリー帝国にとって相対的な安定期として記憶されています。

ケルバーは1904年末に首相を辞任しますが、第一次世界大戦中の1916年、首相だったカール・フォン・シュテュルクが暗殺されるという事態が発生します。この混乱の中で、ケルバーは再び首相の職務を担うこととなりました。しかし、この2度目の在任期間はわずか2ヶ月足らずと非常に短く、帝国の崩壊を阻止することはできませんでした。

オーストリア＝ハンガリー帝国が解体し、オーストリア共和国が成立した後、ケルバーは1919年にウィーン近郊で亡くなりました。彼の首相在任期間は、オーストリア＝ハンガリー帝国の多様な民族的、政治的課題に立ち向かった彼の政治手腕と、その功罪を問う上で重要な時代として、歴史に刻まれています。彼の功績は、多民族帝国における政治的安定と経済発展の両立を試みた点にあり、その複雑な時代状況を理解する上で欠かせない存在と言えます。

参考文献
A・J・P・テイラー『ハプスブルク帝国 1809〜1918：オーストリア帝国とオーストリア＝ハンガリーの歴史』
大津留厚『ハプスブルクの実験：多文化共存を目指して』
大津留厚『ハプスブルク帝国』
南塚信吾（編）『ドナウ・ヨーロッパ史』

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