キッチナー陸軍

キッチナー陸軍：志願兵の群像とソンムの悲劇

第一次世界大戦勃発時、イギリス陸軍大臣ホレイショ・キッチナー卿は、長年の植民地戦争経験から、この戦争が長期化し、甚大な犠牲を伴うと予見しました。既存の常備軍では不十分と判断したキッチナー卿は、大規模な志願兵による新軍の創設を提唱、徴兵制導入を避け、国民の自発的な参加を呼びかけました。

1914年、キッチナー卿の呼びかけに応じ、48万人を超える志願兵が殺到しました。この「キッチナー陸軍」は、既存の軍隊とは異なり、志願した仲間同士で編成された大隊も多く含まれていました。この迅速な兵力増強は、装備や訓練の不足という問題を抱えながらも、国民の戦争への熱意と、短期決戦への期待感、そして愛国心を反映していました。

当時の世論は、戦争への参加を国民の義務と捉える傾向が強かったと言えるでしょう。労働党議員J.H.トーマス（後に植民相）は、戦争への志願を怠る若者を批判する演説を行い、国民の士気を高めました。彼の演説は、当時の若者たちの戦争に対する認識や、参加を促す社会的な圧力を如実に示しています。

1915年、キッチナー陸軍はフランス戦線に投入されました。そして、1916年7月、ソンムの戦いが勃発します。この戦いでキッチナー陸軍はイギリス軍の中核を担いましたが、その初日には、7万人を超える死傷者を出しました。これは大戦中でも屈指の損失であり、連合軍の戦術的誤算に加え、未熟な兵士を多数含んでいたキッチナー陸軍の編成上の問題、特に仲間同士で編成された大隊の経験不足などが大きな原因でした。

ソンムの戦いの惨劇は、キッチナー陸軍の急速な拡大と、その編成上の問題点を浮き彫りにしました。大規模な志願兵の受け入れは、訓練不足や装備不足という課題を生み出し、戦場で大きな犠牲につながったのです。この教訓は、戦争遂行における兵站や訓練の重要性を改めて認識させることとなりました。

ソンムの戦い直前の1916年6月、キッチナー卿は死去しました。彼の死は、イギリスに大きな衝撃を与え、戦争への国民意識にも影響を与えたと思われます。戦争が長引くにつれて、国民の戦争への熱意は徐々に衰え、より効率的な兵力確保の必要性が高まっていきました。

その結果、1917年にはイギリスに徴兵制が導入されました。キッチナー卿が強く反対した徴兵制の導入は、志願兵だけでは戦争を継続できないという現実的な判断に基づいたものでした。キッチナー陸軍の経験は、イギリスの戦争遂行能力と、国民の戦争への意識、そして戦争における組織運営のあり方について、多くの課題を残しました。キッチナー陸軍の物語は、第一次世界大戦の悲劇と、それを支えた国民の複雑な感情を深く理解する上で、重要な一端を担っています。

キッチナー陸軍の成立と、その後のソンムの戦いは、志願兵制の限界と徴兵制導入の必要性を浮き彫りにしただけでなく、戦争の悲惨さと、国民の愛国心と現実との間の葛藤を示す象徴的な出来事となりました。

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