クセートゥラ

クラーク・アシュトン・スミスによる短編小説『クセートゥラ』（原題：Xeethra）は、ホラーファンタジーの古典として知られる。1934年12月にアメリカのパルプ雑誌『ウィアード・テールズ』に掲載され、作者の創造した終末世界ゾティーク大陸を舞台としている。物語は神秘的な文献「カルナマゴスの遺言」からの引用で幕を開け、日本の古典『南柯の夢』にも通じるテーマを扱っていると評されることもある。

あらすじ

物語の主人公は、ゾティーク大陸の東の果て、キンコルの地に暮らす19歳の山羊飼いの青年、クセートゥラである。ある夏の遠出の際、彼は偶然見つけた谷間の洞窟へと足を踏み入れる。洞窟を抜けた先に広がっていたのは、驚くほど豊かな植生を持つ肥沃な平原だった。未知の光景に困惑しながらも、クセートゥラはそこにあった木の実をもぎ取って口にする。その園には黒い甲冑を纏った二人の巨人がおり、彼らが庭園の番人であると察したクセートゥラは、見つからないよう息を潜める。しかし、しばらくそうしているうちに、彼は奇妙な感覚に襲われる。自分がいつもの山羊飼いクセートゥラではない、まるで別の人間であるかのような感覚だ。突然の閃光に驚いた彼は、来た道を慌てて逃げ帰る。

帰宅したクセートゥラは、自分が山羊飼いのクセートゥラであることをすっかり忘れ、カリュズ国の若き王アメロとして振る舞い始める。その口調や人格の豹変ぶりに、彼の伯父で山羊の飼い主であるポルノスは大きな困惑を隠せない。ポルノスは、甥が魔物に化かされたのだと説得を試み、禁断の地であるタサイドンの庭園に侵入し果実を食べた者には呪いが降りかかることを説明する。しかし、アメロ王になりきったクセートゥラは、自分の王国であるカリュズの場所ばかりを尋ね、伯父は甥が完全に気が狂ってしまったと嘆くばかりだ。

狂人扱いされることに耐えられなくなったクセートゥラは、失われた自身の王国を探し求め、伯父の家を飛び出して旅に出る。まず立ち寄った近隣の村では、彼の変わり果てた様子を見た皆が、その振る舞いを狂人のたわごとだと呆れる。それでもクセートゥラは諦めず、長い間ゾティーク中をさまよい歩くことになる。行く先々でカリュズ王国について尋ねるたび、人々は彼に奇妙な視線を向け、あからさまに嘲笑する者もいれば、皮肉を込めて旅の成功を祈る者もいた。ついにカリュズから来たという旅人に出会うこともないまま、彼の旅は続く。

長い放浪の末、彼はついにカリュズの首都シャタイルの情報を得る。しかし、彼がたどり着いた先には、長い歳月を経て完全に荒廃しきった宮殿の跡があるだけだった。打ちひしがれる若者の前に、業病を患った者たちが集まってくる。クセートゥラが自分がカリュズ王であると名乗ると、彼らは異口同音に「我らこそがカリュズの王だ」「ここには他の土地から追放された我々のような者しか住んでいない」「王が一人増えたところで何も変わらない。好きに名乗るがいい」と答える。その時、庭園で見た黒甲冑の戦士が現れ、クセートゥラを見下ろす。同時に山羊飼いだった頃の記憶が鮮明に戻り、彼の中でアメロ王としての誇りと、素朴な山羊飼いだったクセートゥラの記憶が激しくせめぎ合う。タサイドンの使者である巨人は、果実を食べたことによって前世の記憶が蘇ったのだと説明する。アメーロにはもはや玉座も王国もなく、クセートゥラはかつて王であったことを忘れられず、かといって素朴な山羊飼いだった自分を取り戻すこともできない。その苦悩に満ちた姿を見て、影は彼の魂を地獄の王タサイドンに捧げるよう持ちかける。

苦しみから逃れたい一心で、クセートゥラはタサイドンと契約を交わしてしまう。すると、タサイドンの強力な妖術によって、過去の出来事が再演されるかのように、彼は繁栄していた頃のシャタイル、そしてカリュズの王アメロとして存在していた。山羊飼いのクセートゥラとしての放浪も、荒廃したシャタイルも、そしてタサイドンとの契約も、アメロはまるで夢のようにすっかり忘れ果てていた。

平和で潤沢なカリュズ国で、アメロは若き王として政務を執り、長きにわたって王国の繁栄を築き、贅沢な生活を送る。しかし、ある時期を境に、王国には次々と苦難が降りかかるようになる。原因不明の疫病や凶暴な賊がはびこり、終わりのない飢饉と旱魃が国土を荒廃させていく。アメロは王ではあったものの、治世の才に乏しく、これらの災厄に対して何も有効な手を打つことができず、ただただ悲嘆に暮れるばかりだった。次第に彼は王としての希望を失い、王国を統治するということが耐え難い重荷となっていく。

ある日、宮殿に一人の山羊飼いを名乗る笛吹き男が現れる。ぼろぼろの衣装を纏い、日焼けしたその男は、遠い国から来たと語る。「褒美はいらないが、いずれ私の望むものを頂戴する」と告げた笛吹きが奏でる神秘的な音色に、アメロは心を奪われる。その音色を聴きながら、彼は王位を捨て、山羊飼いとして生きる自分自身の姿を幻視する。アメロは王であることを放棄することを決意し、笛吹きの男に自分の国へ案内するように頼み、宮殿を後にする。彼が宮殿の門を出たその瞬間、突然、深い闇が辺り一面を覆い尽くした。

終幕

闇が晴れたとき、アメロの目の前にあったのは、かつてタサイドンの使者と対面した、あの荒廃した宮殿の跡だった。アメロの意識の中に、山羊飼いクセートゥラとしての全ての記憶が鮮明に去来し、彼は自分が経験した全てを思い出す。地獄の力によって一時的に蘇らせた王国の人生は終わり、そこにはタサイドンと契約する前と全く同じ、廃墟と化した状況が広がっていたのだ。カリュズのアメロ王としての人生は、果たして夢だったのか、幻術だったのか、あるいは一度は真実として起こったことだったのか、あるいは何度も何度も繰り返されてきた定められた運命だったのか、それすらも判然としない。失われた栄光、王国、そしてかつての素朴な自分。それら全てを記憶に留めたまま、悔やまなければならないという苦悩の重さに、クセートゥラはついに屈服する。彼は黒い影に向かって叫ぶ。「魂を持っていけ！約束は守る！」しかし、タサイドンの使者は冷酷に言い放つ。「持っていく必要はない。どこにいようとも、お前の魂は既にタサイドンの暗黒の帝国の一部なのだ」と。そして突き放すように付け加える。「この廃墟のシャタイルで業病の者たちと共に留まるもよし、山羊飼いに戻るもよし。好きなようにするがよい。もはや取るに足りぬことだ」

この物語は、夢と現実、記憶と自己、そして運命の不可避性というスミスの作品に共通するテーマを深く掘り下げている。一度地獄の力に触れ、定められた運命から逃れようとした者の末路は、より重い苦悩と地獄の絶対的な支配の中で自己を見失うことにあるのだ。

主な登場人物

クセートゥラ：ゾティーク大陸の東端、キンコルに住む19歳の山羊飼いの青年。タサイドンの庭園で果実を食べたことで、前世であるアメロ王の記憶が蘇り、失われた王国を求めてゾティーク中をさまようことになる。
アメロ王：カリュズの若き王。クセートゥラの前世の姿であり、タサイドンの妖術によってその生涯が再演される。治世の才に乏しい。
ポルノス：クセートゥラの伯父であり、山羊の飼い主。甥の変貌を狂気や魔物の仕業だと恐れ、心配する。
タサイドン：七つの地獄を統べる王であり、あらゆる妖術の支配者。人間の魂を弄び、その運命を定める。
黒甲冑の巨人：タサイドンの庭園の番人であり、果実を口にした者の前に現れる使者。
笛吹き：ぼろぼろの衣装を纏った謎めいた山羊飼い。タサイドンの使者である可能性も示唆される。

収録

『ゾティーク幻妖怪異譚』 創元推理文庫、大瀧啓裕訳
『魔術師の帝国1 ゾシーク篇』 ナイトランド叢書、安田均訳（訳題「ジースラ」）

関連作品

* 『塵埃を踏み歩くもの』：スミスの非ゾティーク作品だが、本作にも登場する文献「カルナマゴスの遺言」が登場する。

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