クマノクスビ

クマノクスビ（熊野久須毘）

クマノクスビ、または熊野久須毘（くまのくすび）、熊野櫲樟（くまのくすひ）は、日本の古い神話に登場する重要な神の一柱です。

神話における誕生

この神は、日本神話における「誓約（うけい）」と呼ばれる重要な場面に登場します。これは、天照大御神（アマテラスオオミカミ）と須佐之男命（スサノオノミコト）が、互いの潔白を証明するために子を生み競った出来事です。

誓約の際、須佐之男命は天照大御神から彼女の持ち物であった八尺瓊勾玉（やさかにのまがたま）を受け取り、それを噛み砕いて息吹とともに吐き出し、神々の姿へと変化させました。クマノクスビは、この時に誕生した神々の一柱です。文献によって生まれた神の数は異なり、『古事記』では五柱、『日本書紀』の第三の一書では六柱とされています。クマノクスビは、天照大御神の「物実（ものざね）」、すなわち彼女の持ち物から生まれたため、天照大御神自身の子であると位置づけられました。生まれた順番については、多くの伝承で最後に誕生した五番目、あるいは六番目の神として記されています。

多様な表記

クマノクスビの神名は、記紀をはじめとする古典の中で様々な漢字で表記されており、その読みも異なる場合があります。これは、古い神名の音を漢字で当てはめる際に生じる多様性と考えられます。

主な表記としては、以下のようなものが見られます。

『古事記』：熊野久須毘命（くまのくすびのみこと）
『日本書紀』本文：熊野櫲樟日命（くまのくすひのみこと）
『日本書紀』第一の一書：熊野忍蹈命（くまのおしほみのみこと）
『日本書紀』第二の一書：熊野櫲樟日命（くまのくすひのみこと）
『日本書紀』第三の一書：熊野忍蹈命（くまのおしほみのみこと）、またの名を熊野忍隅命（くまのおしすみのみこと）
別段（岩戸隠れ）第三の一書：熊野大角命（くまのおおすみのみこと）
* その他：熊野大隅命（くまのおおすみのみこと）

これらの表記は、神名の発音や解釈の違いを示唆しており、クマノクスビという神が持つ神秘性や多様性を反映していると言えるでしょう。

神名の意味と熊野との関連

クマノクスビという神名に含まれる「クスビ（クスヒ）」という響きは、古語の「奇し霊（くすび）」、すなわち神秘的な力を持つ神霊や不思議な魂、あるいは「奇し火（くすび）」、すなわち不思議な火を意味する言葉に関連していると解釈されています。これは、神が持つ霊妙な力や、神話的な現象とのつながりを示唆している可能性があります。

また、「クマノ」という部分は地名である熊野を指すと広く解釈されています。具体的に日本のどの熊野を指すかについては諸説が存在し、主に二つの地域が候補として挙げられます。

一つは、島根県松江市にある出雲の熊野大社です。この大社の現在の主祭神は熊野大神櫛御気野命（くまののおおかみくしみけぬのみこと）ですが、かつてはクマノクスビこそが本来の祭神であったのではないか、という古い説も提唱されています。この説は、出雲と記紀神話におけるクマノクスビのつながりを示唆するものです。

もう一つは、和歌山県にある紀伊の熊野三山です。熊野三山を構成する社の一つである熊野那智大社（和歌山県那智勝浦町）では、主祭神として熊野夫須美大神（くまのふすみのおおかみ）を祀っています。この熊野夫須美大神は、一般的に国土を生んだ母なる神である伊弉冉尊（いざなみのみこと）と同一視されることが多いですが、この熊野夫須美大神こそがクマノクスビであるとする独自の説も存在します。この説は、クマノクスビが熊野三山における重要な神格と結びついている可能性を示しています。

これらの説は、クマノクスビが単に誓約の場面に登場するだけでなく、特定の地域、特に「熊野」と呼ばれる地域において、何らかの形で信仰の対象となっていた可能性を示唆しています。神名の持つ神秘的な響きと、特定の聖地との関連性から、クマノクスビは日本神話の深遠な側面をうかがわせる神と言えるでしょう。

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