クリトン

プラトンの『クリトン』：正義、国家、そして個人の葛藤

プラトンの初期対話篇『クリトン』は、ソクラテスの死刑判決後、彼が牢獄で過ごす様子を描いた哲学的な物語です。紀元前399年、アテナイの牢獄に繋がれたソクラテスのもとへ、幼馴染で親友であるクリトンが訪れます。『ソクラテスの弁明』の続編として、この作品ではソクラテスとクリトンの間で、国家、法律、正義、そして個人の義務に関する深い議論が展開されます。

主要登場人物と場面設定

物語の中心となるのは、70歳を迎えたソクラテスと、裕福で廉直な農民であるクリトンです。二人はアテナイのアロペケ区出身の同年齢の友人であり、クリトンの息子クリトブロスはソクラテスの友人でもありました。物語の舞台は、死刑執行を待つソクラテスが繋がれたアテナイの牢獄です。死刑執行を停止する聖船の帰還を控えた深夜、クリトンは密かに牢獄に侵入し、ソクラテスに脱獄を勧めます。

脱獄勧誘とソクラテスの拒否

クリトンは、ソクラテスの脱獄に費用を負担し、国外への逃亡を手助けすることを提案します。彼は親友を失いたくないという個人的な感情、そしてソクラテスを救済しなかったという非難を避けたいという世間の評判への配慮から、脱獄を熱心に勧めます。しかし、ソクラテスはクリトンの説得を冷静に拒絶します。

正義に関する議論

ソクラテスは、クリトンの熱意は理解するものの、脱獄が本当に正しい行動なのかを深く考察する必要があると主張します。彼は、大衆の意見ではなく、知者や専門家の意見を尊重すべきだとし、特に正義と不正の観点から脱獄の是非を議論します。議論の過程で、不正はどんな状況下でも行うべきではない、また、不正に不正で報復するのも悪であるという点で合意が成立します。

国家と個人の契約

ソクラテスは、アテナイの国家と市民との関係を、契約や合意として捉えます。ソクラテスは長年アテナイに住み、家族を持ち、市民として生活してきました。これは、暗黙のうちに国家の法に従うという契約を結んでいることを意味します。したがって、国家の同意なく脱獄することは、この契約を破棄し、国家に不正を働く行為にあたるとソクラテスは主張します。

法の遵守と改革

ソクラテスは、国家の法は絶対的なものではなく、改善の余地があることも認めています。しかし、法に従う義務があること、そして法に誤りがあれば、説得によってそれを正すべきであることも強調します。脱獄は、法に従う義務を放棄し、不正を犯す行為であると結論づけます。

「悪法も法なり」という誤解

『クリトン』はしばしば、「悪法も法なり」という解釈で紹介されますが、これは必ずしも正確ではありません。ソクラテスは、不当な判決に服従したのではなく、不正を行わず、正義を貫くことを優先したのです。彼の行為は、世俗の法よりも、より普遍的な正義や倫理を優先した結果です。

他の作品との関連

『クリトン』の内容は、クセノフォンの『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』といった他の文献とも関連しており、それらの作品を参照することで、より深い理解を得ることができます。また、『法律』や『第七書簡』といったプラトンの後期の作品では、『クリトン』で示された法と正義、国家と個人の関係性がさらに発展的に論じられています。

まとめ

『クリトン』は、正義、国家、そして個人の義務に関する深く複雑な問題を提起する作品です。ソクラテスの死刑と脱獄拒否という具体的な出来事を背景に、プラトンは法と倫理、国家と個人の調和という普遍的なテーマを探求しています。この対話篇は、プラトン哲学を理解する上で重要な一石を投じるだけでなく、現代においても法と正義、国家と個人の関係性を考える上で、貴重な示唆を与えてくれます。

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