グレンフェル・タワー火災

2017年 6月14日未明、イングランドの首都ロンドン西部に位置するケンジントン・アンド・チェルシー区、ノース・ケンジントン地区にある高層公営住宅、グレンフェル・タワーで大規模な火災が発生しました。この火災は瞬く間に建物を包み込み、第二次世界大戦後における英国で最悪の火災被害となり、多くの犠牲者を出しました。日本国内では「ロンドン高層住宅火災」などと報じられることもありました。

グレンフェル・タワーについて

グレンフェル・タワーは、ノース・ケンジントン地区に建つ24階建てのタワー・ブロック型高層住宅です。1974年に建設され、全127戸の低所得者向け公営住宅（カウンシル・フラット）として使用されていました。管理はケンジントン・アンド・チェルシー区が行っていましたが、火災発生時は築43年を迎えていました。この地域が含まれるケンジントン・アンド・チェルシー区は富裕層が多く居住することで知られていますが、ノース・ケンジントン地区のように比較的貧しい地域も点在しています。

建物は地上1階から4階がオフィスや保育所といった共用フロア、5階以上が居住フロアとなっていました。火災当時の居住者は約600人と推定されており、多様な国籍の人々が暮らしており、特にモロッコ出身者が多かったとされます。また、多くのムスリムの住民もおり、火災発生日がラマダンの期間中であったことから、深夜に起きていたムスリムの居住者が早期に出火に気づいたという証言もあります。
タワーの名前は、建設当時南側を走っていたグレンフェル道路に由来し、その道路名は英国軍人のフランシス・グレンフェル陸軍元帥にちなんで名付けられました。

火災の発生と被害

火災は6月14日未明、4階にある住宅の一室から出火しました。消火活動には消防車約40台、消防士約200人が出動し、鎮火までには24時間以上、報道によっては2日半を要したとされています。ロンドン消防隊の消防総監は、自身の29年のキャリアで経験したことのない規模の火災であったと述べています。

この火災による被害は甚大でした。ロンドン警視庁の発表によると、最終的に確認された死者数は70人（死産の胎児1人を含まず）に上りました。また、負傷者は病院で治療を受けた78人に及び、うち17人が重体でした。建物自体も大きな被害を受け、近隣の集合住宅を含め151戸が焼失し、158世帯が住居を失いました。
犠牲者の身元確認は難航しました。高温による遺体の損傷が激しかったことや、身元特定のために世界各地から歯の診療記録を取り寄せる必要があったこと、さらには不法滞在の恐れから警察への被害申告をためらった居住者がいた可能性などが、身元確認の遅れや最終的な犠牲者数の確定を困難にしました。一部の報道では、住民が作成したリストに基づいて死者が120人を超える可能性も指摘されました。

火災拡大の要因と問題点

火災が短時間で建物全体に燃え広がった最大の要因として、2015年から2016年にかけて実施された860万ポンドをかけた大規模改修工事で外壁に使用された建材の可燃性が指摘されています。使用されたのは米国アーコニック社の「レイノボンドPE」というアルミニウム複合材で、安価な可燃性プラスチックを芯材としていました。アーコニック社はこの火災を受けて当該商品の高層建築への販売を中止しました。英国の基準には違反していなかったとされますが、米国では既に40フィート（約12m）以上の建物への使用が禁止されていました。この建材が、断熱材との間に設けられた通気層を伝って炎を加速させた可能性が高いと専門家は分析しています。また、改修工事の計画書に防火壁の記載がなかったことも、延焼を拡大させた要因の一つと考えられています。金属パネルで覆われた外壁が、消火活動において水の到達を妨げた可能性も指摘されました。

グレンフェル・タワーでは、火災発生より数年前から住民たちが防火対策への懸念を運営者側に繰り返し指摘していました。2013年には住民団体が防火設備の不備や避難経路が一箇所しかない危険性を訴えていましたが、これらの警告は十分に対処されなかったとされています。火災時の避難方法に関する指示も問題視されました。英国の大型集合住宅では、自室からの出火や自室に影響する火災以外では、指示があるまで室内に留まる「ステイ・プット」と呼ばれる方針が標準的ですが、これが逃げ遅れにつながった可能性が指摘されました。また、建物には各階にバルコニーがなく、階段もエレベーターホールを囲む1箇所のみで、2方向避難ができない構造でした。スプリンクラーも設置されていませんでしたが、これは当時の英国の既存高層建築に設置義務がなかったためです。スプリンクラーがあれば被害を抑えられたかについては議論が分かれています。

調査と社会的反響

テリーザ・メイ首相は火災後、原因究明と責任追及のための公開調査を命じました。ロンドン警視庁は捜査を開始し、火元がワールプール社製の冷蔵庫であったこと、そして外装材と断熱材が防火基準を満たしていなかったことを公表しました。また、業務上過失致死などの容疑での立件が検討され、ケンジントン・アンド・チェルシー行政区と建物の管理団体に対し、法人としての過失致死の疑いがあることが伝えられました。

火災後、英国国内では犠牲者への追悼と共に、当局の対応や長年にわたる防火対策への不備に対する強い抗議の声が上がりました。ロンドン市長は「防ぐことができた事故」と述べ、高層公営住宅全体の建て替えを提案しました。住民支援団体からは、火災に関連した自殺未遂の報告も複数ありました。また、対応への批判を受け、区長や区議会議長、管理団体のCEOなどが辞任しました。

被災者支援のため、著名アーティスト50人以上が参加したチャリティーソング「明日に架ける橋」が制作され、英国のヒットチャートで1位を獲得しました。

その後の影響

グレンフェル・タワー火災を受けて、英国政府は大規模改修を受けた高層住宅に対し、使用されている外壁材の一斉点検を実施しました。その結果、イングランド国内の約600棟でグレンフェル・タワーと同様の可燃性外壁材が使用されていることが判明し、防火検査で多数の建物が不合格となりました。これを受け、カムデン区など他の地域でも安全が確認できない建物の住民が一時的に避難する事態となりました。

グレンフェル・タワー自体については、2025年2月に政府が解体を決定しました。しかし、一部の遺族は火災に関する刑事訴追が完了するまで建物の保全が必要だと主張しており、議論が続いています。

グレンフェル・タワー火災は、英国社会における貧困や社会格差といった問題と建築安全基準の欠陥が複雑に絡み合った悲劇として、今なお大きな影響を残しています。この火災を教訓に、建築基準の見直しや既存建物の安全性確保に向けた取り組みが進められています。

もう一度検索