サントメール ある被告

サントメール ある被告：母と娘、そして作家の葛藤

2022年、フランスで公開された社会派ドラマ映画『サントメール ある被告（Saint Omer）』は、アリス・ディオップ監督による衝撃的なヒューマンドラマです。第79回ヴェネツィア国際映画祭では銀獅子賞（審査員大賞）と新人監督賞をW受賞、さらに第95回アカデミー賞国際長編映画賞のフランス代表にも選出されるなど、高い評価を獲得しました。本作は、フランス北部サントメールで実際に起きた幼児遺棄事件の裁判を基に、事件の真相だけでなく、そこに深く関わる人々の心の闇を丁寧に描き出しています。

物語の中心人物は3人います。一人目は、パリ在住の新進作家であるラマです。彼女はアフリカ系フランス人で、次回作も期待される有望な作家ですが、自身の過去や母親との複雑な関係に苦しんでいます。もう一人、裁判の被告人であるロランス・コリーは、生後15ヶ月の娘を海に遺棄した罪で裁判にかけられています。彼女はセネガル出身で裕福な家庭で育ちましたが、フランスで暮らす中で、文化や言語の壁、そして親の期待との葛藤に苦しんできました。そして、三番目の人物として、ロランスの事件を傍聴するラマの存在があります。ラマは自身の過去とロランスの境遇を重ね合わせながら、事件の真相と、そこに隠された人間の心の複雑さを探っていくことになります。

ロランスは、事件の動機として「マラブタージュ（呪術）」を主張します。西アフリカで根強く残るこの呪術が、彼女の実家と愛人の家族からかけられた呪いだと主張するのです。しかし、この主張は検察側からは都合の良い言い訳として退けられます。ロランスは裕福な家庭に育ちましたが、母親の教育方針によりセネガル語を禁じられ、友達とも遊ばずにフランス語だけで育てられました。親の期待に応えようとフランスの大学で学びましたが、父親の希望とは異なる哲学を専攻したため、仕送りを止められ、休学を余儀なくされます。その後出会った彫刻家デュモンテと同棲を始めますが、妊娠したことを彼に告げず、出産も一人でこなし、出生届も出さずに過ごします。デュモンテは、ロランスの妊娠に無関心で、別居中の妻や瀕死の弟を気にするばかりでした。

ラマは、法廷でロランスの証言を聞きながら、自身の子供時代を思い出します。ラマもまた、母親から疎まれ、無視されて育った過去を持っていたのです。ロランスの母親は、裁判の報道に興奮し、娘の育ちの良さを自慢する、冷酷な女性でした。ラマは、自身の母親との関係、そして現在のパートナーにも打ち明けられない妊娠という問題を抱えていました。ロランスは大学で博士課程に在籍していると周囲に話していましたが、実際には試験を受けておらず、学位を取得していませんでした。この嘘は、彼女の親の期待に応えようとしながらも、次々と失敗を繰り返す中で生み出された、悪循環の一部だったのです。

予審判事がロランスに呪術に関する質問をしたことが、彼女の「呪い」への固執を強めた可能性も示唆されています。休廷後、ロランスの母親に声をかけられたラマは、彼女と自身の母親を重ね合わせ、深く動揺します。そして、パートナーのアドリアンに、自分が母親のようになりたくないという不安を打ち明けます。アドリアンが眠った後、ラマはこっそりとギリシャ神話『メディア』の映画を鑑賞します。メディアは、夫イアソンに捨てられ、全てを失った末に、子供たちを殺してしまう悲劇の女性です。ロランスの最終弁論では、彼女が隠し続けていたのは娘の出産ではなく、失われた自分自身だったと主張されます。精神を病み、幻覚を見るようになったロランスにとって、呪術の話は幻覚の症状であり、必要なのは厳罰ではなく治療だと弁護側は訴えます。

裁判の判決は明かされませんが、映画は、認知症で介護が必要になった母親の世話を始めるラマの姿で幕を閉じます。ラマは疲れた母親の手を握りしめ、彼女の過去と向き合うことになります。この映画は、母と娘、そして作家の複雑な関係を通して、現代社会における女性の苦悩、そして社会構造の問題点を深くえぐる、見応えのある作品です。

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