シリル・スミス

シリル・ジェームズ・スミス

シリル・ジェームズ・スミス（Cyril James Smith OBE, 1909年 8月11日 - 1974年 8月2日）は、20世紀イギリスを代表するピアニストの一人です。イングランド北東部の工業都市ミドルズブラに生まれた彼は、困難な状況下でも音楽への情熱を失わず、特に脳卒中による障害を乗り越えて妻と共に「三手のデュオ」として活躍したことで知られています。

音楽家としての歩み

若い頃からその才能を認められたシリル・ジェームズ・スミスは、1926年から1930年にかけて、ロンドンの名門・王立音楽大学でピアニストのハーバート・フライヤーのもとで専門的な研鑽を積みました。在学中には、その卓越した演奏技術と将来性が評価され、1928年には音楽家の名誉組合より銀メダルを授与されています。この受賞は、彼の初期キャリアにおける重要な一歩となりました。

大学を卒業後、彼は当時黎明期にあった放送メディアの世界に足を踏み入れます。テレビジョン開発で知られるジョン・ロジー・ベアードの放送事業にピアニストとして参加し、その活動の場を広げました。その後、イギリスの公共放送局であるBBCに移籍し、放送を通じて広く聴衆にその演奏を届けました。BBCでの活動は、彼のその後の人生にも大きな影響を与えました。ここで、同じくピアニストとして活躍していたフィリス・セリックと出会い、1937年に結婚したのです。

1934年からは、自身の母校である王立音楽大学で教鞭をとり始め、後進の指導にも情熱を注ぎました。教育活動と並行して、ピアニストとしての演奏活動も精力的に継続し、イギリス国内外でコンサートを行いました。そして1941年、彼は妻フィリス・セリックと共にピアノ・デュオを結成します。息の合った夫婦によるデュオは次第に評判を呼び、特に毎年夏にロンドンで開催される世界的に有名な音楽祭、プロムス（Proms）には度々出演し、多くの聴衆から温かい支持と絶賛を博しました。彼らのデュオは、その豊かな音楽性と完璧なアンサンブルで、当時のイギリス音楽界において重要な存在となっていきました。

逆境、そして新たな挑戦

順調にキャリアを重ねていたシリル・ジェームズ・スミスに、突然の悲劇が訪れます。1956年、演奏旅行で訪れていたソビエト連邦（現在のウクライナにあたる）のハリコフにおいて、彼は脳卒中を発症し、倒れてしまいました。この発作により、彼の左手は麻痺という深刻な後遺症を負うこととなります。ピアニストにとって生命線である手の機能を失ったことは、ソロ・ピアニストとしてのキャリアの終焉を意味するものでした。

しかし、シリル・ジェームズ・スミスは音楽への深い愛情と不屈の精神を持っていました。そして、彼の傍らには、同じくピアニストであり、夫を深く愛する妻フィリス・セリックがいました。二人は話し合い、困難な状況を乗り越えるための新たな道を模索します。そこで生まれたのが、「三手のデュオ」という前例のない演奏スタイルでした。これは、夫婦二人が協力し、文字通り3本の腕（手）を使って1台のピアノを演奏するという、非常にユニークで挑戦的な試みでした。

この「三手のデュオ」のために、多くの作曲家が彼らのために新たな作品を書き下ろしました。中でも、シリル・ジェームズ・スミスと親交が深かったイギリスの作曲家マルコム・アーノルドが作曲した三手のためのピアノ協奏曲は、彼らのレパートリーの中でも特に有名な傑作として知られています。この協奏曲は、彼らの困難な状況とそれを乗り越えようとする精神を反映した、力強く感動的な音楽であり、彼らの代名詞ともなりました。夫婦は協力してピアノに向かい、左手の不自由を補い合いながら演奏活動を継続しました。その演奏は、技術的な困難を克服しただけでなく、深い人間的な感動を聴衆に与え、世界中で称賛を集めました。

晩年と栄誉

「三手のデュオ」としての活動は、単なる演奏に留まらず、逆境に立ち向かう人間の精神力の証として、多くの人々に勇気と感動を与えました。彼らのユニークな貢献と音楽界への功績が認められ、1971年には、妻フィリスと共に大英帝国勲章オフィサー（OBE）を授与されるという栄誉に浴しました。これは、ピアニストとしての卓越した技術だけでなく、困難な状況下で音楽活動を継続し、芸術を通じて人々を鼓舞した彼らの人間性に対する、国家からの最高の賛辞でした。

シリル・ジェームズ・スミスは、1974年 8月2日、ロンドンのイースト・シーンで64年の生涯を閉じました。彼は、一人の優れたピアニストとしてだけでなく、人生最大の困難に直面しても音楽への情熱と創造性を失わず、妻と共に新たな音楽の可能性を切り拓いた人物として、音楽史にその名を刻んでいます。彼の遺した音楽と、逆境を乗り越えた不屈の精神は、今なお多くの人々にインスピレーションを与え続けています。

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