スロー・トレイン・カミング

ボブ・ディランのアルバム『スロー・トレイン・カミング』（1979年発表）は、彼の音楽キャリアにおいて重要な転換点を示す作品となりました。それまでの作品とは一線を画す、ゴスペル色が濃厚なアルバムは、ディランが1978年末に体験した宗教的な覚醒を反映しています。

1978年11月、サンディエゴでのコンサート中に投げ入れられた銀の十字架がきっかけとなり、ディランは深い宗教的体験を経て、熱心なキリスト教信者となりました。この経験は彼の音楽観や人生観に大きな影響を与え、『スロー・トレイン・カミング』はその影響が如実に表れた作品と言えるでしょう。

アルバム制作には、アレサ・フランクリンなどのプロデュースで知られるジェリー・ウェクスラーと、マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオのキーボーディストであるバリー・ベケットがプロデューサーとして参加。さらに、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーやピック・ウィザースといった実力派ミュージシャンもセッションに参加しており、ディラン自身も本作の音作りを「プロのアルバム」と評したと伝えられています。

レコーディングでは、聖書の影響を色濃く反映した新曲が制作されました。力強い歌声と、ゴスペル音楽特有の熱狂的なサウンドは、ディランの新しい境地を示すものとなりました。アルバムは商業的な成功も収め、ビルボード200チャートで最高3位、全英アルバム・チャートで2位を記録、RIAAによりプラチナ・ディスクに認定されています。シングルカットされた「ガッタ・サーヴ・サムバディ」は全米24位を記録し、ディラン個人名義として初のグラミー賞（ベスト・ロック・ボーカル賞）を受賞しました。

しかし、この宗教色の強いアルバムは、すべてのファンに受け入れられたわけではありませんでした。長年のファンの中には、ディランの音楽性の変化に戸惑いを覚える者も少なくありませんでした。ジョン・レノンは「ガッタ・サーヴ・サムバディ」へのアンサーソングとして「サーヴ・ユアセルフ」を発表し、ディランの信仰を批判的に捉えていると解釈できる歌詞が話題となりました。一方で、レノン自身はディランの信仰について「個人的な問題であり、賛成も反対もしない」と発言しており、複雑な反応を示しています。

アルバム発売に伴うツアーでは、過去のヒット曲を演奏せず、新曲を中心に構成されたセットリストが組まれたことも、既存のファンの間で物議を醸すことになりました。しかし同時に、熱心なキリスト教信者も多数ライブに訪れ、ディランの音楽は新たな層のファンを獲得することにも繋がったと言えるでしょう。

『スロー・トレイン・カミング』は、ボブ・ディランの宗教的転向を反映した、ゴスペル色の強いアルバムとして音楽史に刻まれました。商業的な成功だけでなく、賛否両論を巻き起こしたその影響力は、ディランの音楽活動における一つの大きな転換期を示しています。収録曲には「ガッタ・サーヴ・サムバディ」「プレシャス・エンジェル」「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」「スロー・トレイン」など、宗教的なテーマを扱った楽曲が多く含まれており、彼の内面世界の変化を鮮やかに反映しています。アルバムは、彼の音楽的探求と信仰との深いつながりを示す、重要な作品と言えます。

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