セル (小説)

『セル』 - スティーヴン・キングのSFホラー

スティーヴン・キングが2006年に発表した長編小説『セル』（原題：Cell）は、現代社会の片隅に潜む恐怖を、その最も身近なデバイスである携帯電話という媒介を通して描いた異色のSFホラー作品です。タイトルの「セル」は、文字通り「携帯電話」を意味しており、物語の核となる要素をストレートに示唆しています。テクノロジーの進化がもたらす便利さと、それが孕む潜在的な危険性、そしてそれが引き起こす破滅的な事態を鮮烈に描写しており、キング作品の中でも特にディストピア色の強い一作と言えるでしょう。

物語の始まり：パルス

物語は、アメリカ合衆国のボストンを舞台に、ごく普通の日常が突如として崩壊する瞬間から幕を開けます。ある日、携帯電話を使用していた世界中の人々が、原因不明の強烈な信号波（後に「パルス」と呼ばれる）を受信したことで、一瞬にして理性を失い、制御不能な狂気に陥ります。彼らは人間の言葉を話す能力を失い、衝動的かつ暴力的な行動をとるようになり、従来の「人間」とはかけ離れた、異形とも呼べる存在へと変貌を遂げていきます。街は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、無数の人々が互いを傷つけ合い、殺戮が繰り広げられる未曽有の大パニックが発生します。

主人公クレイの旅

この破局的な事態に巻き込まれた主人公は、ボストンに滞在していた絵本作家のクレイ・リデルです。パルス発生の瞬間、運良く（あるいは偶然にも）携帯電話を使っていなかった彼は、周囲が狂気に染まる中で正気を保った数少ない生存者の一人となります。彼の心は、遠く離れた場所で暮らす別居中の妻子の安否へと向けられます。彼らがこの災厄から逃れているのか、あるいは犠牲となってしまったのか――その真実を知るため、クレイは混沌と危険に満ちたボストンを脱出し、妻子のもとへ向かうという、文字通りの「サバイバル」の旅に出ることを決意します。

旅の道中、クレイは同じようにパルスから逃れた数少ない生存者たちと出会い、時には協力し、時には困難に立ち向かいながら、荒廃した世界を進んでいきます。行く手には、かつて人間であったはずの「フォーン」と呼ばれる狂気の人々が群れをなし、生存者を襲います。彼らは時に奇妙な集団行動を見せるようになり、単なる狂人以上の不気味な存在へと進化していく様子が描かれます。クレイと仲間たちは、この新しい「現実」の中で生き延びる術を模索し、希望を失わずに目的地を目指しますが、その道のりは想像を絶する過酷さに満ちています。

邦訳と映画化

本作の邦訳版は、翻訳家・白石朗氏の手により、2007年に新潮文庫から上下巻として出版されました。キング特有のリアリティ溢れる描写と、現代社会への鋭い皮肉を含むテーマが、日本語でも忠実に再現されています。

そして、小説発表から10年後の2016年には、本作の映画化作品が公開されました。この映画では、原作者であるスティーヴン・キング自身が脚本の一部を担当しており、原作の世界観を映像化するにあたり深く関与しています。監督はトッド・ウィリアムズ、主人公クレイ役は俳優のジョン・キューザックが務め、彼は製作総指揮も兼任しています。映画版はPG-12指定として公開され、小説で描かれた携帯電話による恐怖が、映像を通して多くの観客に届けられました。

『セル』は、現代生活に不可欠な通信ツールが、突如として人類を破滅へと導くトリガーとなるという斬新なアイデアに基づいた作品です。見慣れた日常が一瞬にして地獄絵図へと変貌する描写は、読者や観客に強い衝撃を与え、テクノロジーへの依存と、それがもたらしうる予期せぬリスクについて深く考えさせられるでしょう。キングが得意とするパニックホラーの要素に加え、極限状態における人間の心理や行動、そして僅かに残された希望を求めるロードノベル的な側面も持ち合わせており、スティーヴン・キングの多様な作風の一端を示す作品と言えます。

もう一度検索