ソクラテス以前哲学者断片集

ソクラテス以前の哲学者たちの知恵の断片：『ソクラテス以前哲学者断片集』

『ソクラテス以前哲学者断片集』(Die Fragmente der Vorsokratiker, The Fragments of the Pre-Socratics) は、古代ギリシャのソクラテス以前に活躍した哲学者たちの著作断片を集成した、極めて重要な文献です。ドイツの古典学者ヘルマン・ディールスとヴァルター・クランツによって編纂され、1903年の初版以降、1952年の第6版まで改訂が重ねられ、ソクラテス以前哲学研究の標準的な底本として長く君臨してきました。

この断片集の意義は、ソクラテス以前の哲学者たちの思想を、断片的な資料とはいえ、体系的に理解することを可能にした点にあります。彼らの著作の多くは散逸しており、現代に残っているのは断片的な引用や、後世の哲学者による言及のみです。ディールスとクランツは、これらの断片を丹念に収集・整理し、それぞれの哲学者ごとに章を設け、生涯、学説、著作断片、さらには偽作の可能性のあるものまでを網羅した膨大な労作を完成させました。

本書の特徴として特筆すべきは、ディールス・クランツ番号付け（Diels-Kranz (DK) numbering）です。これは、各断片に付された固有の番号で、DK + 章数(1〜90) + 項目(A〜C) + 資料番号という形式で表記されます。例えば、ヘラクレイトスの有名な「万物は流転する」という断片はDK22A6と表記されます。この番号付けは、ソクラテス以前哲学の研究において、断片の引用を簡潔かつ正確に行うための標準的な方法として、現在でも広く用いられています。プラトンの著作におけるステファヌス版、アリストテレス著作におけるベッカー版と同様、この番号付けは、研究者にとってなくてはならないものとなっています。

構成としては、全90章からなり、各章は、哲学者一人につき設けられています。各章はさらに、「A. 生涯と学説」「B. 著作断片」「C. 倣作」の3つの項目に分けられています。それぞれの項目には、該当する断片が整理されており、本文中にはギリシャ語原文が記載され、詳細な注釈が添えられています。断片を示す簡略表記として、「断片 数字」「fr. 数字」といった表記も用いられています。

ただし、ディールス・クランツ版は、近年、新たな知見や研究の進展によって、その内容に修正や追加が必要になる部分も出てきました。そのため、2016年には、ラクスとモストによる新たな断片集（LM）が刊行され、ディールス・クランツ版に代わるものとして注目を集めています。LM版は、最新の研究成果を反映し、より正確で詳細な情報を提供しています。

日本語訳としては、『ソクラテス以前哲学者断片集』(全6巻) 内山勝利編（岩波書店、1996年-1998年）があります。これは、DK第6版のギリシャ語部分の全訳に加え、原注の抄訳と訳注を収録しており、日本語でソクラテス以前の哲学を深く理解したい研究者や愛好家にとって貴重な資料となっています。

このように『ソクラテス以前哲学者断片集』は、古代ギリシャ哲学の研究に不可欠なだけでなく、その編纂方法や番号付けシステムは、後の古典文献学研究にも大きな影響を与えました。現代においても、ソクラテス以前の哲学者たちの思想を探求する上で、重要な出発点であり続けるでしょう。

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