ツィクロンB

ツィクロンB：ホロコーストの悲劇と殺虫剤の歴史

ツィクロンB（Zyklon B）は、ドイツで開発されたシアン化物系の殺虫剤です。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるホロコーストにおいて、強制収容所のガス室で大量殺戮に使用されたことで、その名を知られています。現在では、農薬としての使用はされておらず、シラミ駆除などの用途に対しても、ユダヤ人団体からの強い抗議があり、商業利用はされていません。

成分と特性

ツィクロンBの有効成分は、シアン化水素（青酸）です。シアン化水素は、動物にとって非常に有毒であり、致死的な作用があります。当初、青酸ガスは毒ガス兵器としての利用も検討されましたが、空気よりも軽く拡散しやすいため、兵器としては不向きでした。しかし、密閉された空間での殺虫剤としては非常に有効であると考えられ、ドイツで広く使用されるようになりました。

歴史

ツィクロンBの開発は、ユダヤ人からプロテスタントに改宗した化学者フリッツ・ハーバーによって進められました。第一次世界大戦中のドイツでは、食糧難が深刻化しており、軍からの指示と協力のもと、青酸化合物を利用した殺虫剤の研究が開始されました。

毒ガス研究者と昆虫学者の共同研究により、1923年にツィクロンA、B、Cが商品化されました。このうち、ツィクロンBが最も広く知られることになります。ツィクロンBは、ペレットやファイバー・ディスク、珪藻土などの吸着剤に、青酸化合物と安定剤、警告用の臭気剤（ブロモ酢酸エチル）などをしみ込ませたもので、白色の粉状物質としてブリキ缶などの密閉容器に保存されました。これにより、青酸化合物を安全に長期間保管し、必要な時にいつでも使用できるようになったのです。

ツィクロンBは、開封後、殺虫対象の密閉された室内に薄く散布されます。標準的な処理時間は16時間で、摂氏5度以下の場合は32時間、加熱すれば6時間に短縮できます。使用後の換気は最低20時間行う必要がありました。ツィクロンBは、発疹チフスを媒介するシラミの駆除に特に効果的でしたが、穀物などの燻蒸殺菌にも広く用いられました。

ホロコーストにおける使用

ツィクロンBは、アウシュヴィッツ＝ビルケナウやマイダネクなどの強制収容所で、ユダヤ人、政治犯、戦争捕虜、同性愛者などに対するガス殺に使用されました。デゲッシュ社には、アウシュヴィッツ収容所などへの納品書が残っており、アウシュヴィッツには合計20トンのツィクロンBが納入されたことが記録されています。

1940年1月または2月には、ブーヘンヴァルト強制収容所で250人のロマの子供たちが実験台として殺害され、1941年9月にはアウシュヴィッツ第1収容所で実験が行われました。ツィクロンBは、IG・ファルベン社の子会社であるデゲッシュ社が特許を所有し、デッサウ製糖工場などに製造を依頼し、テスタ社が販売を担っていました。

ナチスはデゲッシュ社に対し、警告用の臭気を付けないツィクロンBの生産を命じましたが、これは当時のドイツの法律に違反する行為でした。戦後、テスタ社の製造管理担当者2名がイギリス軍の軍事法廷で裁かれ、化学兵器提供の罪で処刑されました。

ホロコースト否認論争

1988年、アメリカの処刑ガス室専門家であるフレッド・ロイヒターは、ロイヒター・レポートを作成し、その中でツィクロンBによる大量殺戮は不可能であると主張しました。しかし、1990年2月にクラクフ法医学研究所が行った調査は、ロイヒターの説を否定しています。

ユダヤ人による抗議の影響

現在、ツィクロンBと同じ成分のものは、農薬として使用されていません。その他の用途（シラミ駆除など）についても、ユダヤ人団体からの抗議により、商業利用は実現していません。また、「ツィクロン」という単語自体も、ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人にとっては非常に敏感な言葉であり、使用を避ける傾向があります。例えば、2002年には、ボッシュ・シーメンスとアンブロの両社が「Zyklon」の商標登録を試みましたが、反対運動により断念しています。

ツィクロンBは、その恐ろしい歴史から、決して忘れてはならない教訓を私たちに与えています。

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