ディミトリー・ピーサレフ

ディミトリ・イヴァノヴィッチ・ピーサレフ

ディミトリ・イヴァノヴィッチ・ピーサレフ（Dmitry Ivanovich Pisarev, 1840年10月14日 - 1868年7月16日）は、19世紀ロシアの文芸批評家であり、その急進的な思想で知られています。彼は、既存の権威や文化遺産を批判し、科学的知識と合理性を重視する立場から、ロシア社会に大きな影響を与えました。

生涯

ピーサレフは、オリョール地方の裕福な地主の家に生まれました。1856年から1861年までペテルブルク大学で言語学を学び、1859年から雑誌『夜明け』に寄稿を開始。1861年からは『ロシアの言葉』誌で指導的な批評家として活躍しました。

1862年、彼は反動的な政治パンフレットを批判した論文『シェド・フェロッチの保護を受けるロシア政府』でロマノフ王朝の打倒を訴え、秘密印刷所での印刷を試みます。この行為が発覚し逮捕され、1865年までペトロパヴロフスク要塞に監禁されます。しかし、獄中でも執筆活動を続け、彼の代表的な論文の多くがこの時期に書かれました。

出獄後、健康を害したピーサレフはバルト海沿岸で療養中に溺死するという悲劇的な最期を遂げました。

思想

ピーサレフの文芸批評は、チェルヌイシェフスキーやドブロリューボフの思想をさらに急進化させたものでした。彼は、人々の福祉に直接役立たない文化遺産を否定し、特に「芸術のための芸術」という考え方を強く批判しました。その立場は、プーシキンの権威を批判し、「美学の破壊」という論文で、芸術家よりも料理人が社会にとってより有用であると主張するなど、過激な形で表現されました。

彼は、ロシアで初めてダーウィンの進化論やコントの社会学を紹介した人物でもあります。彼の理想とする人物像は、科学的に教育され、理性以外の権威に従わない「考えるリアリスト」、つまりツルゲーネフの小説『父と子』の登場人物バザーロフのような「ニヒリスト」でした。ピーサレフは、自然科学をより進歩的で民主主義的な現象と捉え、芸術崇拝を時代遅れのものと見なしました。

しかし、レーニンは著作『何をなすべきか？』で、ピーサレフの「夢想が諸事件の自然な歩みを追い越す場合、夢想は何の弊害もない」という言葉を引用し、既成の権威や道徳の破壊を目指していたピーサレフが、夢想の必要性も説いていたことを指摘しました。

著作

『19世紀のスコラ学』（1861年）
『バザーロフ』（1862年）
『リアリスト』（1864年）
『美学の破壊』（1865年）
『プーシキンとベリンスキー』（1865年）
『生活のための闘い』（1867年）

日本語訳

金子幸彦・訳『生活のための闘い』(1952年、岩波文庫)

参考文献

ピョートル・クロポトキン『ロシア文学の理想と現実』（1905年）
ベルジャーエフ『ロシア思想史』（1946年）
E・H・カー『革命の研究』（1950年）
E・H・カー『ロシア革命の考察 1917:Before and After』（1969年）
渡辺雅司『美学の破壊―ピーサレフとニヒリズム』(1980年、白夜叢書)

ピーサレフの思想は、ロシア社会の変革を求める人々に大きな影響を与え、その文学的批評は今日でも重要な研究対象となっています。

もう一度検索