デュポン・プラザ・ホテル放火事件

1986年の大晦日、プエルトリコの首都サンフアンに位置するデュポン・プラザ・ホテル（現在の名称はサンファン・マリオット・リゾート＆ステラリス・カジノ）で、未曾有の大惨事が発生しました。これが、後にデュポン・プラザ・ホテル放火事件として知られる出来事です。当時、ホテルの従業員と経営陣の間で労働争議が激化しており、経営側への不満を募らせた3名の従業員が、脅迫の意図をもってホテルに火をつけた結果、その火は収拾がつかなくなり、90名を超える死者と140名もの負傷者を生む大惨事へと発展したのです。この火災は、プエルトリコ史上最悪のホテル火災として記録されており、アメリカ合衆国におけるホテル火災の中でも死者数において2番目に多い犠牲者を出しました。

事件前の状況

事件現場となったホテルは、もともと1963年にプエルトリコ・シェラトン・ホテルとして開業しました。その後、1979年にサンフアン・デュポン・プラザ・コープに売却され、デュポン・プラザ・ホテルと改称されています。このホテルには、当時アメリカのホテルの大部分が備えていたとされるスプリンクラーや自動消火装置が設置されていませんでした。1985年には地元の消防当局による検査で、安全装置の不具合や非常口、避難計画の不備が指摘されていましたが、スプリンクラーに関する言及はなかったとされています。

事件の背景には、ホテルの経営側が労働組合に加入している従業員の一部を解雇し、非組合員を雇用しようとする計画があり、これが激しい労働争議へと発展していました。全米トラック運転手組合Local 901が労使交渉を行っていましたが、対立は深まる一方でした。事件の数日前には、ホテル内で不審な小火が3件発生しており、経営側は警備員を増員するなど警戒を強めていました。また、組合員の一部は旅行者に対し、ホテルの利用を控えるよう呼びかける活動も行っていました。事件から一週間後、プエルトリコ知事は、事件発生の一週間前には「何か起こるのではないか」という情報が広まっていたと語っています。

火災の発生と拡大

事件発生当日の1986年 12月31日、労働組合はホテル内のダンスホールで会合を開き、深夜のストライキを決議しました。同時刻、ホテルは年末のためほぼ満室で、900人から1000人の宿泊客が滞在していました。ストライキ決議後、組合員であったエクトール・エスクデロ、ホセ・リヴェラ、アルマンド・ヒメネズの3人は、宿泊客をホテルから避難させる目的で火をつける計画を立てました。彼らは午後3時頃、1階のダンスホール近くの倉庫で卓上鍋用燃料の缶を開け、家具の下に置いて火をつけました。彼らは小さな火で脅しを与えるつもりでしたが、火は倉庫にあった新しい家具に燃え移り、彼らの予想を遥かに超えて急速に燃え広がり、激しいフラッシュオーバーを引き起こしました。

爆発的なフラッシュオーバーが発生した後、高温のガスが1階の階段を伝ってロビーに流れ込み、ロビーの炎は天井の排煙設備を経由してカジノへと到達しました。火災発生時、カジノには約150人の客がおり、犠牲者の多くがこの場所で発見されました。ホテルの経営側が盗難防止のために非常口を施錠していたため、避難経路は著しく制限されており、多くの人々が脱出を阻まれました。また、2階のカジノからプールデッキへ向けて窓ガラスを破って飛び降りる人々が相次ぎ、多数の負傷者が出ました。上層階にいた人々の中には、煙を吸い込んで死亡したり、エレベーターで避難しようとした際にドアが開いた瞬間に炎が入り込み犠牲になったケースも見られました。一方、ホテルの屋上に避難した人々は、即席のヘリポートからヘリコプターによって救助されました。プエルトリコ消防庁は午後3時40分に指令を受け、多数の消防車と救急車が現場に駆けつけ消火活動にあたりましたが、火が鎮火するまでに3時間を要しました。

被害状況とその後

この火災による最終的な死者数は96名から98名と推定されており、その大部分が焼死でした。負傷者は140名に上ります。犠牲者の多くは遺体の損傷が激しく、身元の特定が困難を極めました。カジノで84名、ロビーで5名、エレベーター内で3名、プールサイドバーで2名の遺体が発見されています。

事件後、連邦捜査局（FBI）とアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局（ATF）が合同で捜査を開始しました。当初、労働組合は組合員の関与を否定していましたが、1987年4月、前述の3名の組合員が放火を認めました。彼らは労働組合の要求を呑ませるために経営側を脅す目的で火をつけたと供述しました。彼らは殺人の罪で有罪となり、それぞれ重い懲役刑（エスクデロ、リヴェラが懲役99年、ヒメネズが懲役75年）を言い渡されましたが、後にヒメネズとリヴェラは仮釈放されています。

この事件では、刑事裁判とは別に、被害者とその遺族による大規模な民事訴訟が提起されました。約2300名の原告団は、ホテルの所有者、関連企業、製造業者など約230名の被告を相手取り、合計18億ドルの損害賠償を請求しました。これらの訴訟はまとめて審理され、「おばけ訴訟」と呼ばれるほどの規模となりました。裁判は段階的に進められ、最初の審理ではホテルの経営側に対して8500万ドルから1億ドルの賠償金支払いが命じられました。その後の審理では製造物責任などが問われ、最終的に死亡者および負傷者への賠償総額は2億1000万ドルに達しました。

事件の教訓と法改正

デュポン・プラザ・ホテル放火事件は、同時期に発生した他のホテル火災とともに、ホテルにおける防火安全基準の不備を浮き彫りにしました。特に、スプリンクラーや機能する火災報知器が欠如していたことが、被害を拡大させた大きな要因と指摘されました。当時、アメリカ合衆国全体で統一された消防基準がなく、地域ごとの条例には大きなばらつきが存在していました。このような状況を受け、事件から3年後の1990年9月25日、アメリカ合衆国では「1990年ホテル・モーテル防火安全法」が制定されました。この法律により、すべてのホテルや連邦政府が利用する公共施設に対し、全客室への煙探知機設置が義務付けられたほか、3階建て以上の建物にはスプリンクラーの設置と維持が義務付けられるなど、防火安全基準が大幅に強化されました。この法律は、アメリカ合衆国政府が国民の安全を直接守るために働きかけた例として挙げられ、本事件とMGMグランドホテル火災がその制定の重要な契機となったとされています。

火災後、ホテルの所有権は保険会社のアメリカン・インターナショナル・グループが取得し、ホテルは一時閉鎖されました。その後、1億3000万ドルをかけた大規模な改修を経て、1995年2月16日にサンファン・マリオット・リゾート＆ステラリス・カジノとして再び開業し、現在に至ります。

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