トンマーゾ・インギラーミの肖像

トンマーゾ・インギラーミの肖像

『トンマーゾ・インギラーミの肖像』（伊: Ritratto di Tommaso Inghirami）は、イタリアのルネサンス期の巨匠ラファエロ・サンツィオによって1510年から1511年にかけて制作された油彩の肖像画です。現在、この作品はフィレンツェのパラティーナ美術館に所蔵されています。また、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にも同時期に制作された複製が存在します。

人物としてのトンマーゾ・インギラーミ

トンマーゾ・インギラーミは1470年、トスカーナ地方のヴォルテッラに生まれました。彼は裕福な貴族の家庭で育ちましたが、幼少期に父が民衆の反乱で命を落とし、その後の生活は叔父に託されました。フィレンツェでロレンツォ・デ・メディチの支援を受け育つ中、トンマーゾはその才能を早くから認められ、ローマで高位聖職者である叔父たちの元で教育を受けました。やがて、ポンポニオ・レトの指導の下、アカデミア・ロマーナで学び、1498年からは修辞学の教授として活動するようになります。

トンマーゾは「パイドラ」という異名を持ち、16歳の時に古代ローマの悲劇『パイドラ』で主役を演じたことからその名が付けられました。彼は教皇ユリウス2世やレオ10世の下で数多くの公職を歴任し、1510年にはヴァチカン図書館の館長に任命されます。その頃、ラファエロと共に「署名の間」の装飾プログラムを手掛け、『アテナイの学堂』にもトンマーゾの姿が描かれていると考えられています。

肖像画の詳細

この肖像画では、トンマーゾ・インギラーミが暗い背景に対比する形で、書斎に座り、赤いローブを着て姿を表しています。赤い帽子とローブは、トンマーゾがサン・ピエトロ大聖堂での重要な役職に就いている事を示しています。彼の右手にはペンが握られ、机の上にはインク壺と紙の束が見えます。トンマーゾは書見台の上にある書物を見つめながら思索にふけっています。この姿は、彼が持つ知的な側面と、何かを生み出そうとする霊感を同時に再現しています。

ラファエロは、暗い背景とトンマーゾの姿を見事な色彩と光で強調し、リアルでありながらも理想化した表現を実現しました。特に、彼の斜視はラファエロの技術によって巧みに組み込まれ、霊感を受けたポーズと調和しています。全体として、画面には過度な壮大さがなく、自然さと威厳のある描写が見られます。

制作の背景

具体的な制作時期は不明ですが、トンマーゾの昇進を記念してこの肖像画が描かれた可能性があります。彼がサン・ピエトロ大聖堂の聖堂参事会員に任命されたのが1509年で、その後すぐにラファエロと出会ったことが推測されています。これにより、制作年代は1510年か、レオ10世が教皇に選出された1513年に描かれたと考えられています。

この肖像画には、パラティーナ美術館のオリジナル版と、ボストンの版が存在し、それぞれ異なる解釈がされています。特に19世紀にはボストン版が真作とされましたが、近年ではオリジナルの価値を疑問視する声も上がっています。どちらの作品も細部にわたって一致しており、ラファエロの才能が輝く特別な作品となっています。

来歴

本作の最初の記録は1660年代にさかのぼり、その初期の所有者やメディチ家への所蔵経緯は不明です。肖像画は何度かの移転を経て、最終的にパラティーナ美術館に戻りました。それぞれの歴史を経て、この作品はラファエロの代表的な作品の一つとして、今なお多くの人に愛されています。

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