イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに位置するイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館は、その名の通り、一人の女性、イザベラ・スチュワート・ガードナーの情熱と構想によって生まれました。彼女が収集したヨーロッパ、アジア、アメリカの絵画、彫刻、タペストリー、装飾品など、多岐にわたる貴重な美術品が収蔵されています。この美術館の最大の特徴は、建物、設備、そしてコレクションの全てが、個人によって計画され、実現された点にあります。現代では、歴史的な作品の展示に加え、現代美術の紹介、コンサート、講演会、さらには地域社会向けの教育プログラムなど、幅広い文化活動の拠点となっています。創設者への敬意から、名前が「イザベラ」である女性は無料で入館できるほか、特定のイベントに招待されることも。また、誕生日当日に入館する訪問者も無料となるサービス（2009年以降）が提供されています。

歴史

美術館の歴史は、著名なフィランソロピスト、美術収集家、そして芸術家たちの庇護者であったアメリカ人女性、イザベラ・スチュワート・ガードナー（1840-1924）が1903年に開館したことに始まります。建物は、15世紀ヴェネツィアの壮麗な邸宅、特にバルバロ邸を強く意識して設計されました。イザベラが本格的に美術品の収集に乗り出したのは、1891年に父親から莫大な遺産を相続してからです。彼女の収集活動における最初の重要な一歩は、1892年にパリのオークションでヨハネス・フェルメールの絵画『合奏』を手に入れたことでした。その後、1894年には、イタリア・ルネサンスの巨匠ボッティチェリの作品を求めていたイザベラに、アメリカの美術史家バーナード・ベレンソンが協力者として現れます。ベレンソンは、その後イザベラが収集したおよそ70点もの美術品の購入に関与しました。

1898年に夫ジョン・L・ガードナーが亡くなった後、イザベラは生前に夫と語り合った、自身のコレクションを収める美術館建設の夢を実現に移すことを決意します。彼女はボストンの湿地帯フェンウェイに土地を取得し、建築家ウィラード・T・シアーズに、彼女が思い描く15世紀ヴェネツィアのルネサンス様式邸宅を模した美術館の設計を依頼しました。完成した美術館は3階建てで、中央に美しい中庭を配したデザインです。この中庭には、四季折々の草花が植えられ、建物の雰囲気を一層引き立てています。イザベラは設計のあらゆる細部に深く関与し、その徹底ぶりから、名高い建築家であったシアーズが、あたかも彼女のデザインを実行する単なる技術者のようだ、と冗談めかして言われるほどでした。しばしば誤解されがちですが、この美術館はヴェネツィアの古い邸宅をそのまま移築したものではありません。最新の建材を用いて新築されており、ヨーロッパから運ばれたゴシック期やルネサンス期の古美術品は、建物の細部装飾に用いられています。床には特別にデザインされたタイルが敷かれ、一部には現代的なコンクリートも使用されており、アンティークの柱頭がコンクリート製の柱の頂部を飾るユニークな組み合わせも見られます。中央の中庭はガラスの屋根で覆われ、鉄骨の梁で支えられています。

建物の完成後、イザベラは1年もの時間をかけて、美術コレクションの配置を慎重に決めました。彼女は、著名な西洋絵画や彫刻と、全く異なる文化や時代の工芸品や織物を自然に組み合わせることで、独自の調和空間を創り出すことに心血を注ぎました。その結果、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の空間は、リラックスした雰囲気の中で絵画や中庭の美しさを堪能できる場所として高く評価されています。収蔵品の大多数は厳密に分類されておらず、意図的に抑えられた照明も相まって、現代的な美術館というよりは、温かみのある個人の邸宅を訪れたかのような印象を与えます。美術館は1903年1月1日に、ボストン交響楽団による演奏を伴う盛大な式典で開館しました。招待客にはシャンパンとドーナツが振る舞われたといいます。イザベラが生涯を過ごした間、この場所は「フェンウェイ・コート」という愛称で親しまれました。イザベラは積極的に芸術家、音楽家、学者などを「フェンウェイ・コート」に招き、その豊かなコレクションと魅力的なヴェネツィア風の空間を通して、彼らに創造的な刺激を与えようとしました。招待客の中には、著名な画家ジョン・シンガー・サージェントや、作曲家チャールズ・マーティン・レフラー、ダンサーのルース・セント・デニスらがいました。現在の美術館でも、イザベラの遺志を引き継ぎ、アーティスト・イン・レジデンス制度の実施、中央庭園の維持管理、コンサート開催、そして革新的な教育プログラムの提供など、多岐にわたる活動に力を入れています。

イザベラは1924年に亡くなり、遺言によって美術館へ100万ドルの寄付が行われるとともに、今後の運営に関する重要な規定が残されました。その規定とは、美術館のコレクションをイザベラの美術に対する思想と設立目的を尊重し、「大衆が常に体験し、楽しめるように」永続的に展示し続けること、もしこの条件が守られない場合は、コレクション全てを売却し、遺産と共にハーバード大学へ寄付するというものでした。

収蔵品

イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館には、イザベラ自身が収集し、独自の感性で配置した2,500点以上の美術品が収められています。これらは絵画、彫刻、家具、織物、ドローイング、銀製品、陶磁器、装飾写本、貴重書、写真、さらには古代ローマ時代の書簡など、非常に多様なジャンルにわたります。時代や地域も、中世ヨーロッパ、ルネサンス期イタリアから、アジア、イスラム世界、19世紀フランス、そしてアメリカ合衆国までと広範です。収蔵作品には、ティツィアーノ、レンブラント、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ、マネ、ドガ、ホイッスラー、サージェントといった世界的に著名な芸術家の作品が含まれています。特に、この美術館はアメリカ国内で初めてアンリ・マティスの作品を収蔵したことでも知られています。中でも特筆すべき絵画作品として、ティツィアーノの代表作『エウロペの略奪』、ジョン・シンガー・サージェントの迫力ある『エル・ハレオ』や、彼の描いた『イザベラ・スチュワート・ガードナーの肖像』、フラ・アンジェリコによる荘厳な『聖母の死と被昇天』、若きレンブラントの姿を捉えた『23歳の自画像』、ベンヴェヌート・チェッリーニの『ビンド・アルトヴィーティの肖像』、ピエロ・デラ・フランチェスカの力強い『ヘラクレス』などが挙げられます。美術品以外にも、イザベラが作家ヘンリー・アダムズやT・S・エリオット、女優サラ・ベルナール、法学者オリバー・ウェンデル・ホームズといった著名な人物と交わした7,000通以上の書簡が収蔵されており、彼女の幅広い交流を示す貴重な資料となっています。

増築計画

美術館の評議委員会は、オリジナルの歴史的建築を適切に保存し、イザベラの創設理念を将来にわたって継承していくためには、新たな建物の増築が必要であると判断し、2002年にその方針を決定しました。2004年には、国際的に名高いプリツカー賞受賞建築家、レンゾ・ピアノとその事務所が新棟の設計者に選ばれました。ピアノは、既存の建物のデザインを尊重し、その規模、外観、使用される素材との調和を図る形で新棟を計画しました。この増築計画は、2009年5月にマサチューセッツ州最高裁判所から、イザベラの遺言と美術館の公共的貢献の精神に合致するものであるとの承認を得ました。さらに、関連する行政機関からの認可も取得しています。新しい棟には、来館者サービス機能の拡充に加え、コンサート、特別展示、教育講座などに利用できる多目的スペースが設けられ、イザベラが重視した芸術、音楽、園芸といった分野での活動をさらに発展させることを目指しています。この計画は2012年に完成が予定されており、総工費は約1億1,800万ドルと見込まれていました。

絵画盗難事件

1990年3月18日早朝、この美術館はアメリカ犯罪史上最大級の美術品盗難事件の舞台となりました。ボストン警察官を装った2人組の強盗が館内に侵入し、合計13点の貴重な美術品を強奪しました。盗まれた作品には、世界にわずかしか存在しないフェルメールの『合奏』、レンブラントが描いた唯一の海洋画とされる『ガリラヤの海の嵐』を含むレンブラント作品3点（他に『自画像』、風景画）、エドガー・ドガのドローイング5点、エドゥアール・マネの『トルトニ亭にて』、古代中国の青銅器、そしてナポレオン・ボナパルトの軍旗の頂部に飾られていた鷲の彫刻などが含まれます。イザベラが遺言でコレクションの配置変更を禁じていたことに敬意を表し、現在も盗まれた絵画が掛けられていた場所には、将来的な返還への願いを込めて空の額縁が飾られています。盗難された美術品は未だ発見されておらず、その総額は5億ドルにも達すると見積もられています。この事件の捜査は現在も続けられており、連邦捜査局（FBI）の盗難美術品専門部署にとって最優先事項の一つとなっています。美術館は、盗難品の発見につながる情報に対して、破格の500万ドルの懸賞金を提示し、情報提供を広く呼びかけています。捜査に関連して、1990年代にアイルランド共和軍（IRA）への武器密売に関与していたとされるボストンマフィアのボス、ホワイティ・バルジャーの部下2名が、絵画の隠し場所について言及したとの情報もありましたが、一人は既に死亡し、もう一人は捜査への協力を拒んでいます。過去にはIRAが美術品を政治交渉の道具に使おうとした事例もあり、事件との関連が囁かれることもありました。2013年、FBIは事件の実行犯が中部大西洋岸諸州およびニューイングランド地域を拠点とする犯罪組織の一員であったと正式に発表しました。盗難後、絵画はコネチカット州やフィラデルフィア方面に移送され、約10年前に一度売りに出されたことがあるものの、現在に至るまでその行方は判明していません。この事件は、2005年のドキュメンタリー映画『消えたフェルメールを探して絵画探偵ハロルド・スミス』をはじめ、2021年のNetflixシリーズ『ガードナー美術館盗難事件　消えた5億ドルの至宝』、経済犯罪を扱うCNBCのテレビシリーズ『アメリカングリード』、さらには人気アニメ『ザ・シンプソンズ』のエピソードなど、複数の映像作品で取り上げられ、多くの人々の関心を集めています。

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