ナベブタムシ

ナベブタムシ

ナベブタムシ（学名：Aphelocheirus vittatus）は、カメムシ目（半翅目）ナベブタムシ科に分類される、水中で暮らす昆虫です。日本を含む東アジアに分布しており、特に流れのあるきれいな水を好みます。

形態

成虫の体長はおよそ8.5ミリメートルから9ミリメートルです。幼虫も成虫によく似た姿をしていますが、サイズは成長段階によって異なり、孵化したばかりの1齢幼虫は約2ミリメートル、終齢となる5齢幼虫は約7ミリメートルに達します。ナベブタムシには、翅がほとんど発達しない一般的な「短翅型」と、飛ぶことのできる翅を持つ稀な「長翅型」が存在します。水中での移動に適応しており、特に後ろ脚には、細かい毛が密集した構造が備わっており、これを巧みに使って水中を移動します。

生態

主な生息場所は、水がきれいで流れの速い渓流です。川底の砂地や岩の間に潜んでいることが多く見られます。自然の河川だけでなく、発電のために整備された水路などで発見されることもあります。彼らは、水中の溶存酸素が豊富な環境を必要とします。

プラストロン呼吸

ナベブタムシが他の多くの水生カメムシ類と決定的に異なる点は、水面に呼吸のために上がることがないという点です。これを可能にしているのが、体表を覆う非常に微細な毛が作り出す「プラストロン」と呼ばれる空気の層です。この毛の構造により、体表に薄い空気の膜が保持されます。水中でこの空気層内の酸素が消費されて濃度が下がると、周囲の水中に溶けている酸素が、この空気層へと引き込まれるという物理的な現象（拡散）が起こります。幼虫は体の表面全体で酸素を取り込む皮膚呼吸を行いますが、成虫はこのプラストロン呼吸によって、完全に水中で活動し続けることができるのです。

分布

ナベブタムシは、日本の本州、四国、九州に広く分布しています。国外では、朝鮮半島でも生息が確認されています。

人間との関わり

ナベブタムシは、生息環境の変化に非常に敏感な生き物です。特に、河川を堰き止めたりすると、水中の酸素濃度が低下し、プラストロン呼吸を行う彼らにとっては生存が困難になります。また、河川工事によって大量の土砂が川に流れ込み、生息場所である川底が埋まってしまったり、農薬や家庭から排出される洗剤などが水質を汚染することも、彼らの生存に深刻な影響を与えています。

一方で、地域によっては人間との独特な関わりもあります。長野県の伊那谷地方などで伝統的に食されている「ざざむし」と呼ばれる川虫の佃煮の中には、このナベブタムシが含まれていることがあります。これは、清流に生息する昆虫が地域の食文化として根付いている例と言えます。

近縁種

日本国内には、ナベブタムシの他に、同じナベブタムシ属の仲間が2種類知られており、合わせて3種類が生息しています。

トゲナベブタムシ（A. nawai）：本種との違いは、前胸背板の後ろの角が尖っている点です。こちらも短翅型が普通で、稀に長翅型が見られます。分布は本州（静岡県より西）、九州北部、朝鮮半島、中国、ロシア極東部、中央アジアと、ナベブタムシよりも広い範囲に及びます。環境省のレッドリストでは「絶滅危惧II類」に指定されており、絶滅の危険が増大している種とされています。
カワムラナベブタムシ（A. kawamurae）：確認されているのは現在のところ本州の琵琶湖周辺のみで、1960年代以降は記録がありません。環境省のレッドリストでは最も危惧されるランクの一つである「絶滅危惧I-A類」に分類されており、極めて高い確率で絶滅の危機に瀕していると考えられています。

これらのナベブタムシ類は、清らかな水辺環境の健全さを示す指標となる存在とも言えます。

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