ハーバート・パッシン

ハーバート・パッシン（Herbert Passin, 1916-2003）は、20世紀後半に活躍したアメリカ合衆国の文化人類学者であり、特に日本研究の分野で顕著な業績を残しました。彼はアカデミックな研究者としてだけでなく、戦後の日米関係が再構築される重要な時期から、両国間の相互理解と交流促進に深く関与しました。

パッシンはイリノイ大学で教育を受け、その学問的な基礎を築きました。彼にとって日本との決定的な関わりが始まったのは、第二次世界大戦終結後の1946年、連合国軍総司令部（GHQ）の職員として来日したときのことです。GHQの民間情報教育局に配属された彼は、当時の日本社会においてまだほとんど知られていなかった世論調査の手法を初めて組織的に導入しました。この試みは、占領政策をより効果的に進めるために、日本国民の意識や社会の実情を客観的に把握しようとする画期的なものであり、後の日本の社会調査研究の発展にも繋がる重要な一歩でした。GHQでの経験は、パッシンが日本の社会、文化、そして人々の考え方に対する深い洞察を得る上でかけがえのない機会となりました。

1951年にアメリカへ帰国した後、パッシンは学術の世界に戻り、日本研究者としてのキャリアを確立していきます。そして1962年には、アメリカにおける日本研究の重要な拠点の一つであるコロンビア大学の教授に就任しました。コロンビア大学での教鞭を通じて、彼は長年にわたる日本での経験と研究に基づいた豊富な知識を学生たちに伝え、多くの後進を育成しました。教授として精力的に研究を進める傍ら、彼は様々な分野で日本に関する論文や著作を発表し、その研究成果は日米双方の学術界に大きな影響を与えました。

パッシンの功績は、純粋な研究活動だけに留まりませんでした。彼はフォード財団の顧問として、将来有望な多くの日本人学者がアメリカで研究を行う機会を得られるよう支援し、日米間の学術交流の活性化に尽力しました。このような人的交流の促進は、国家間の理解を深める上で不可欠な基盤となります。さらに、1967年に設立された日米の有識者による非公式対話の場である「下田会議」（日米民間人会議）の発足にも、彼は中心的な役割を果たしました。この会議は、両国の専門家や実務家が率直な意見を交換し、共通の課題について議論する重要なプラットフォームとなり、日米関係の健全な発展に貢献しました。

パッシンは日本社会の多岐にわたる側面に強い関心を持ち、その洞察を多くの著作として発表しました。日本語に翻訳され、日本でも広く読まれた主な著作には以下のようなものがあります。

『日本近代化と教育』: 近代日本における教育制度とその社会への影響を分析。
『遠慮と貪欲 コトバによる日本人の研究』: 日本人のコミュニケーションや行動パターンを独特の視点から考察した文化論。
『アメリカ人の発想・日本人の発想』: 日本の有識者との対談を通じ、日米の思考様式や文化的な違いを比較。
『米陸軍日本語学校 日本との出会い』: 第二次世界大戦中に米軍が行った日本語教育プログラムに焦点を当て、日米の歴史的な接触の一面を描写。
『英語化する日本社会 日本語の維新を考える』: グローバル化の中での日本語の位置づけや変化について論じたもの。
『パッシン博士の東京グルメ探訪』: 研究とは異なる視点から、日本の食文化、特に東京のグルメを探求した異色の著作。

これらの著作は、教育、言語、文化、社会心理、さらには食といった幅広いテーマを通じて、パッシンが多角的に日本を理解しようと試みた軌跡を示しています。彼の客観的かつ深い洞察は、多くの日本人にとっても自国の文化や社会を見つめ直す機会を提供しました。

ハーバート・パッシンは、戦後の混乱期から高度経済成長期にかけての日本の変化を間近で観察し、その知見を学術研究として体系化すると同時に、日米間の人的・知的交流の促進に献身的に取り組みました。彼の生涯と業績は、一人の研究者が国家間の相互理解と友好関係の構築にいかに大きく貢献できるかを示す模範と言えるでしょう。

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