バンド・オン・ザ・ラン

『バンド・オン・ザ・ラン』（英語: Band on the Run）は、1973年にポール・マッカートニー&ウイングスが発表したスタジオ・アルバムです。これは、ビートルズ解散後のポールにとって5作目にあたり、ウイングス名義としては3作目の作品となります。

困難を乗り越えた世界的成功

本作は、イギリスとアメリカの両国でアルバムチャートの第1位を獲得し、全世界で600万枚以上を売り上げる商業的な大成功を収めました。これは、ビートルズ解散後のポール・マッカートニーの作品の中で、現時点で最も売れたアルバムです。しかし、その制作過程は多くの困難に直面しました。

当時、音楽評論家からの厳しい評価や、ロンドンでの制作環境に対するマンネリを感じていたポールは、新たな音楽的刺激を求めて海外でのレコーディングを計画しました。数ある候補地の中から、アフリカのナイジェリアにあるラゴスを選びました。しかし、1973年8月に予定されていた出発を直前に控えたリハーサル中に、ギタリストのヘンリー・マカロックが脱退。さらに、出発直前にはドラマーのデニー・シーウェルもバンドを去ってしまい、結局ポール、リンダ、デニー・レインの3人という最小編成でラゴスへ向かうことになりました。

エンジニアのジェフ・エメリックと共にラゴスに到着したメンバーを待っていたのは、ロンドンのスタジオとは比べ物にならない劣悪な環境でした。隣接する工場からの騒音、不十分な機材、故障したコンソールなど、困難な状況でのレコーディングを強いられます。ポールは現地のミュージシャンの起用も検討しましたが、文化的な摩擦もあり断念し、ウイングスの3人だけで演奏の大部分を担いました。

さらに、ナイジェリア滞在中には、さらなる不運が襲います。ポールとリンダは夜間の外出中に強盗に遭い、大切な手書きの歌詞やデモテープを奪われる事件が発生しました。また、ポール自身もレコーディング中に体調を崩して入院するなど、予期せぬトラブルが続出。熱帯低気圧の影響による頻繁な停電も制作を妨げました。これらの逆境の中で、約6週間の滞在でアルバムの基本となるレコーディング作業はほぼ完了しました。

ロンドンでの仕上げとチャートの頂点へ

ラゴスでの録音後、ロンドンに戻ったウイングスは、ジョージ・マーティンのAIRスタジオで追加のオーバーダビングやミキシングを行い、サウンドを完成させました。サックス奏者のハウイー・ケイシーによるソロや、オーケストレーション担当のトニー・ヴィスコンティなどが制作に参加し、楽曲に彩りを加えています。

アルバムは1973年12月にリリースされましたが、当初のチャートアクションは期待外れで、出足は鈍いものでした。しかし、後にシングルカットされた「ジェット」がヒットし、続いてシングルカットされたタイトル曲「バンド・オン・ザ・ラン」が大成功を収めました。このシングルヒットがアルバムのセールスを大きく牽引し、結果として全米・全英の両チャートで首位を獲得、長期にわたるロングヒットとなりました。

高い評価と象徴的なアートワーク

『バンド・オン・ザ・ラン』は、商業的な成功に加えて、音楽評論家からもポールのソロキャリアにおける最高傑作の一つとして高く評価されています。当時関係が疎遠になりつつあったジョン・レノンもこのアルバムを絶賛したと言われており、『ローリング・ストーン誌』の「オールタイム・ベストアルバム500」にも選出されるなど、その評価は今日まで揺るぎないものです。

アルバムジャケットは、写真家クライブ・アロウスミスが撮影を担当しました。「バンドの逃亡」というコンセプトに基づき、刑務所の壁の前で著名人たちが囚人役として探照灯に照らされるユニークな写真が採用されています。写真には、ポール、リンダ、デニー・レインといったウイングスのメンバーに加え、マイケル・パーキンソン（司会者）、ジェームズ・コバーン（俳優）、クリストファー・リー（俳優）、クレメント・フロイト（コラムニスト、ジークムント・フロイトの孫）ら、当時のイギリスで広く知られた顔ぶれが参加しています。撮影時には技術的な困難もありましたが、その結果生まれた独特の雰囲気が印象的なジャケットの誕生に繋がりました。裏ジャケットも、逃亡中のメンバーを追跡する警察官の机上という設定で、コンセプトが貫かれています。

主な参加ミュージシャンと受賞歴

本作の制作は、ポール、リンダ、デニー・レインの3人が中心となり行われましたが、以下のゲストミュージシャンやスタッフが貢献しています。

主な参加ミュージシャン等:

ポール・マッカートニー
リンダ・マッカートニー
デニー・レイン
ハウイー・ケイシー (サックス)
レミ・カバカ (ドラムス、パーカッション)
ジンジャー・ベイカー (パーカッション)
* トニー・ヴィスコンティ (編曲・指揮)

このアルバムは、第17回グラミー賞において、シングル「バンド・オン・ザ・ラン」が最優秀ポップ・パフォーマンス賞（デュオまたはグループ、ヴォーカル部門）を受賞したほか、ジェフ・エメリックが最優秀エンジニア・アルバム賞（ノンクラシック部門）を受賞しています。さらに、2012年にはアルバムのスーパー・デラックス・エディションが第54回グラミー賞で最優秀ヒストリカル・アルバムを受賞しています。

メンバーの脱退、異国の地でのトラブル、体調不良など、幾多の試練を乗り越えて生み出された『バンド・オン・ザ・ラン』は、ポール・マッカートニーの粘り強さと音楽的才能を示す傑作であり、彼のソロキャリアを語る上で欠かせない金字塔として、今なお世界中のファンに愛され続けています。

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