パウル・クルッツェン

パウル・ヨーゼフ・クルッツェン（1933年12月3日 - 2021年1月28日）は、オランダ生まれの著名な大気化学者です。大気組成、特に地球を取り巻くオゾン層の破壊メカニズムに関する先駆的な研究で、1995年にノーベル化学賞を受賞しました。

経歴

アムステルダムで生まれたクルッツェンは、高校で土木工学を専攻しました。兵役に就いた後、スウェーデンに移り、土木技師として働きながら、ストックホルム大学で気象学を学びました。研究を続け、1973年に同大学からPh.D.を取得しました。その後、ジョージア工科大学やストックホルム大学などで教授職を務め、晩年はドイツのマックス・プランク化学研究所やカリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所に在籍していました。

主要な研究業績

オゾン層の研究:
クルッツェンの最もよく知られた業績は、大気中の窒素酸化物がオゾン層を破壊するメカニズムを解明したことです。この発見は、その後のフロンガス（クロロフルオロカーボン、CFCs）によるオゾン層破壊の研究へとつながり、オゾンホールの問題が地球規模の環境課題として認識される契機となりました。彼の研究は、成層圏および対流圏の化学過程、そしてそれらが地球の生物地球化学的サイクルや気候に果たす役割についての理解を深める上で極めて重要でした。これらの功績が認められ、マリオ・モリーナ、フランク・シャーウッド・ローランドと共に1995年のノーベル化学賞を受賞しました。

人新世（アントロポセン）の提唱:
2000年、クルッツェンは海洋生物学者ユージーン・ストーマーと共に、地球史における人類活動の影響の増大に着目し、新しい地質年代区分として「アントロポセン（人新世）」という言葉を提案しました。これは、人類が地質学的なレベルで地球環境を改変する主要因となった時代を指し、更新世に続くものとして位置づけられています。この概念は、地球システム科学や人文科学など、幅広い分野で活発な議論を巻き起こし、現代社会が直面する環境問題への認識を深める上で大きな影響を与えています。

地球温暖化と気候工学:
クルッツェンは、人為的な温室効果ガス排出削減の取り組みが不十分である現状に対し、強い懸念を表明していました。特に、地球温暖化が制御不能に陥るシナリオに備え、非常時の「逃げ道」となる代替策の検討が必要だと主張しました。その一つとして、成層圏に硫黄粒子を散布し、太陽光を反射させて地球を冷却する、ジオエンジニアリング（地球工学）と呼ばれる手法を提案し、科学界での真剣な検討を促しました。この提案は論争の的となりましたが、気候変動への緊急対応策として、その可能性とリスクの両面から現在も研究が続けられています。

バイオ燃料に関する研究:
また、クルッツェンを中心とする研究グループは、バイオ燃料、特に穀物から生成される燃料が排出する温室効果ガスについて分析を行いました。その結果、一部のバイオ燃料が、従来の化石燃料よりも地球温暖化係数の高い亜酸化窒素（N2O）を多く排出する可能性を指摘し、いわゆる「カーボンニュートラル」という評価が必ずしも当てはまらない場合があることを示唆しました。N2Oは二酸化炭素（CO2）の約300倍以上の温室効果を持つため、この研究は持続可能なエネルギー戦略を考える上で重要な視点を提供しました。

受賞歴・栄誉

クルッツェンはその生涯で数多くの学術的な賞や栄誉を受けています。主要なものとしては、1989年のタイラー賞、1991年のボルボ環境賞、そして前述の1995年ノーベル化学賞があります。また、アメリカ地球物理学連合、スウェーデン王立科学アカデミー、ロシア科学アカデミーなどの権威ある科学アカデミーの会員にも選ばれています。2002年には、1990年代に地球科学分野で最も多く論文が引用された研究者の一人として称えられました。

パウル・クルッツェンの研究は、大気化学から地球システム科学、さらには現代社会のあり方そのものにまで影響を与え、人類が直面する地球環境問題への理解と対策の推進に多大な貢献を果たしました。

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