ビッグ・ファン

『ビッグ・ファン』：マイルス・デイヴィス、実験期サウンドの結晶

マイルス・デイヴィスが1974年にコロムビア・レコードからリリースした二枚組のアルバム、『ビッグ・ファン』（Big Fun）は、彼の音楽的キャリアにおいて最も創造的で変革的な時期の一つ、すなわち1969年から1972年にかけて録音された、多様なセッションからの音源を集めた作品です。この時期のマイルスは、伝統的なジャズの枠組みを大胆に phá 壊し、エレクトリック楽器の導入や他ジャンルとの融合を推し進めていました。

革新的な音楽性の探求

1960年代後半以降、マイルス・デイヴィスはジャズにロック、ファンク、R&Bといった同時代の音楽のエッセンスを積極的に取り入れ始めました。その結果生まれたのが、エレクトリック・マイルスとも称される独自のサウンドです。本アルバムに収録されている音源は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェズ・ブリュー』といった金字塔的作品群と同時期、あるいはその直後にあたるセッションから選ばれており、当時の彼の音楽的な探求の幅広さと深さを示しています。

アルバムの最大の特徴は、その長尺な楽曲構成にあります。オリジナルLP盤に収録された「Great Expectations/Orange Lady」、「Ife」、「Go Ahead John」、「Lonely Fire」は、いずれも20分前後の演奏時間を持ち、スタジオでの即興的なジャムセッションを基盤としています。これらの楽曲では、複数のエレクトリック楽器が複雑に絡み合い、時に混沌としつつも強烈なエネルギーを放つサウンドスケープが展開されます。ポリリズミックなドラムとパーカッション、重厚なエレクトリックベース、そしてマイルス自身のトランペットが、予測不能な音楽的な旅へと聴き手を誘います。

特に、「Go Ahead John」におけるジョン・マクラフリンのフィードバックを多用した革新的なギタープレイは聴きどころの一つであり、「Lonely Fire」のメランコリックで深遠な雰囲気は、この時期のマイルスのサウンドの多様性を示しています。さらに、カリル・バラクリシュナのエレクトリック・シタールや、ビハリ・シャルマ、バダル・ロイといった奏者によるタブラの導入は、マイルスが当時傾倒していたインド音楽やワールドミュージックからの影響を明確に示唆しています。

収録音源の変遷

1974年のオリジナルLP盤は前述の4曲で構成されていましたが、2000年にリリースされたCD再発盤では、この時期の未発表音源である「Recollections」、「Trevere」、「The Little Blue Frog」、「Yaphet」の4曲が追加収録されました。これにより、アルバム全体の収録時間は大幅に延長され、当時のマイルスのスタジオワークのより包括的な側面が提示されることとなりました。

追加収録曲の中でも、ジョー・ザヴィヌルが作曲した「Recollections」は特筆すべき楽曲です。この曲は、2000年公開のガス・ヴァン・サント監督の映画『小説家を見つけたら』（Finding Forrester）のサウンドトラックに使用されたことで、アルバムのリリースから長い年月を経て再び注目を集めることとなりました。

豪華な参加ミュージシャンたち

『ビッグ・ファン』の制作には、マイルス・デイヴィス（トランペット）自身に加え、当時のジャズおよび後のフュージョンシーンを彩ることになる数多くの才能豊かなミュージシャンが参加しています。その豪華な顔ぶれは、当時のマイルスの求心力と、彼が集めたミュージシャンたちの創造的なエネルギーの高さを物語っています。主な参加者としては、ウェイン・ショーター、ソニー・フォーチュン、スティーヴ・グロスマン、カルロス・ガーネット（サックス各種）、ベニー・モウピン（バスクラリネット）、ジョン・マクラフリン（エレクトリックギター）、カリル・バラクリシュナ（エレクトリック・シタール）、ビハリ・シャルマ、バダル・ロイ（タブラ）、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザヴィヌル、ロニー・リストン・スミス、ハロルド・I・ウィリアムズ・ジュニア、ラリー・ヤング（キーボード各種）、ロン・カーター、デイヴ・ホランド（コントラバス）、ハーヴェイ・ブルックス、マイケル・ヘンダーソン（エレクトリックベース）、ビリー・コブハム、アル・フォスター、ビリー・ハート、ジャック・ディジョネット（ドラム）、アイアート・モレイラ、ジェームズ・エムトゥーメ（パーカッション）などが名を連ねています。彼らの多様なバックグラウンドと卓越した技術が、このアルバムの複雑で躍動的なサウンドテクスチャを構築しています。

商業的な評価

商業面においては、本アルバムはアメリカの主要アルバムチャートであるBillboard 200で179位にランクインしました。特にジャズ分野においては、『ビルボード』のジャズ・アルバム・チャートで6位に達しており、その革新的なサウンドが当時のジャズリスナーを中心に一定の支持を得ていたことがうかがえます。

まとめ

『ビッグ・ファン』は、マイルス・デイヴィスのエレクトリック期における重要な断片を集めた作品であり、彼の尽きることのない音楽的探求心を象徴しています。長尺の即興演奏、多層的なアンサンブル、そしてジャンルを横断する実験性は、当時のジャズの可能性を大きく押し広げました。時にラフで未完成な部分も含まれるかもしれませんが、その創造的なエネルギーと未来への示唆に富むサウンドは、後続の多くのミュージシャンや音楽の発展に多大な影響を与えています。マイルスのキャリアにおける多様な側面を理解する上で、深く掘り下げる価値のあるアルバムと言えるでしょう。

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