ピダハン語

ピダハン語：アマゾンの謎めいた言語

ピダハン語は、ブラジル・アマゾナス州に住むピダハン族によって話される独自の言語です。この言語は、ムーラ語族に分類されますが、他の同語族の言語は消滅してしまったため、現在ではこの語族の唯一の生き残りであり、孤立した言語として扱われています。

ピダハン語の概要

ピダハン語は、話者人口が250～380人と少数ですが、ピダハン族のほとんどがモノリンガル（単一言語使用者）であるため、消滅の危機にあるとは考えられていません。日本においては、ダニエル・エヴェレットの著書『ピダハン — 「言語本能」を超える文化と世界観』や、NHK Eテレのドキュメンタリー番組「地球ドラマチック」によって知られるようになりました。

ピダハン語の大きな特徴として、文法に再帰構造がなく、過去形や未来形といった時制の概念がない点が挙げられます。これらの特徴は、言語と認知の関係性に関するサピア＝ウォーフの仮説に新たな視点を提供すると考えられています。しかし、この言語構造の特徴を疑問視する研究者も存在し、未だ議論の余地がある分野です。議論が活発化している背景には、ブラジルの国立インディオ財団（FUNAI）がピダハン族との接触を制限していることが影響しています。

近年の論争点

ダニエル・エヴェレットは、ピダハン語について以下の特徴を指摘しています。

音素の少なさ: 音素の数が非常に少なく、その代わりに多様な異音が存在します。特異な音としては、[ɺ͡ɺ̼]や[t͡ʙ̥]などが挙げられます。
節構造の限定性: 「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」のような再帰的な文を作ることができません。
色彩語彙の欠如: 明暗以外の色を表す抽象的な語彙が存在しません。ただし、この点については異論も出ています。
人称代名詞の借用: 人称代名詞が、ニェエンガトゥ語からの借用である可能性が高いとされています。
言語の音楽性: ピダハン語は口笛や鼻歌にもでき、音楽として記号化することが可能です。カレン・エヴェレットは、言語の韻律に注目することで、意味が伝わる可能性があると指摘しています。

エヴェレットは、ピダハン語に再帰がないという特徴は、チョムスキーの普遍文法理論に反すると主張していますが、チョムスキーを含む一部の言語学者は、再帰がなくても理論に影響はないとしています。

音韻

ピダハン語は、ロトカス語と並び、世界で最も単純な音韻体系を持つ言語の一つとされています。音素の数は10個程度と非常に少なく、研究者によって多少の差異がありますが、いずれにしても極めて少ない数であることが特徴です。ただし、声調は弁別的な役割を担い、少なくとも2つ、または3つの声調があると考えられています。

音素目録

ピダハン語のような音素が少なく、異音のバリエーションが多い言語の音素目録は、研究者によって異なってきます。

母音: /a/, /i/, /o/
* 子音: /p/, /t/, /k/, /ʔ/, /b/, /g/, /s/, /h/

/ʔ/は「x」で表記され、/k/は/hi/の異音とされることがあります。女性は/s/の代わりに/h/を使うことがあります。

語彙

ピダハン語には、ポルトガル語からの借用語がわずかに存在します。例えば、「kóópo（コップ）」はポルトガル語の「copo」から、「bikagogia（商い）」は「mercadoria（商品）」から借用されています。

親族関係の語彙

ピダハン語の親族体系は、人類の文化の中で最も単純な部類に入ります。「baíxi」という単語は、日本語の「親」に相当し、母親と父親を区別しません。また、生物学的な兄弟姉妹以外の親族関係は考慮されていません。

数詞と文法上の数

当初、エヴェレットは「1（hói）」と「2（hoí）」という語彙を認識していましたが、後の研究で、ピダハン語には数の語彙が存在しないと結論づけました。フランクらの実験では、ピダハン族は目の前にあるものを数える際に「hói」と「hoí」を使うものの、それ以上になると「hoí」と「たくさん」を混ぜて表現します。このことから「hói」と「hoí」は、絶対的な数を示すものではなく、「少し」や「より少ない」といった相対的な概念を表しているとされています。また、ピダハン語の文法には、単数・複数の区別がありません。

色の語彙

ピダハン語は、色を表す抽象的な語彙がない数少ない文化の一つです。ピダハン族は色を直接指す言葉を持たず、例えば、赤を「血（のような）」と表現します。これは、アマゾン盆地やニューギニアに見られる特徴です。

サピア＝ウォーフの仮説との関係

サピア＝ウォーフの仮説は、言語が思考に影響を与えるという考え方ですが、ピダハン語は、この仮説と深く関連しています。ピダハン族は目の前の物の数は把握できるものの、隠されると認識が難しくなるという実験結果が報告されています。また、ピダハン族は、エヴェレットとともに数週間学習を試みましたが、基本的な数学能力を身につけることができませんでした。エヴェレットは、ピダハン族が数を数えられない理由を、遊動の狩猟採集民であること、現在を超える概念がないこと、言語に再帰がないことなどを挙げています。

他の言語に関する知識

ピダハン語話者のほとんどはモノリンガルであり、ポルトガル語の知識は限られています。ただし、ピダハン族は、限定的なポルトガル語の語彙を使い、ピダハン語の文法を適用してコミュニケーションを図ることが可能です。そのため、厳密にはモノリンガルではないという見解も存在します。

言語と再帰

従来、文法は有限個の類型に分類されていましたが、チョムスキーの生成文法では、文法に再帰構造があると考えられています。再帰構造があることで、無限の文を生成することが可能になります。ピダハン語のように再帰構造がない言語が存在すれば、言語学にとって重要な発見となる可能性があります。

まとめ

ピダハン語は、その特異な構造と特徴から、言語学において重要な研究対象となっています。音素の少なさ、再帰構造の欠如、数や色の概念の欠如など、多くの興味深い謎を秘めており、言語と認知の関係性を考える上で重要な示唆を与えてくれます。今後の研究によって、さらに多くのことが明らかになるでしょう。

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