フェーズボコーダとは
フェーズボコーダは、
音声信号を
周波数領域で分析し、その振幅と
位相を操作することで、時間伸縮やピッチ変換などの効果を実現するボコーダの一種です。この技術は、
音声信号の分析、変更、再合成という3つの主要な段階を経て処理を行います。
フェーズボコーダの基本原理
フェーズボコーダの核となるのは、短時間フーリエ変換(STFT)です。処理は以下の手順で行われます。
1.
分析: STFTを用いて
時間領域の信号を時間-
周波数領域の表現に変換します。
2.
変更: 周波数成分の振幅と
位相を任意に操作します。
3.
再合成: 逆STFTを用いて、
周波数領域の表現を
時間領域の信号に戻します。
この処理により、
音声信号の時間的な伸縮やピッチの変更が可能になります。特に、STFT分析フレームの時間的位置を調整することで、時間スケールを変更することができます。
位相コヒーレンス問題
フェーズボコーダにおいて重要な課題となるのが、
位相コヒーレンス問題です。これは、STFTによる時間-周波数表現を操作する際に必ず考慮する必要がある問題です。
時間軸方向にオーバーラップした分析窓を使用すると、信号成分が複数のフレームや周波数ビンに拡散してしまいます。これは、隣接するSTFT分析結果が互いに強い相関を持つことに起因します。
STFT表現上で行う変更は、隣接する周波数ビン間(垂直コヒーレンス)や時間フレーム間(水平コヒーレンス)で適切な相関関係を維持する必要があります。特に、
位相のコヒーレンスを維持することは、音質の劣化を防ぐ上で非常に重要です。
位相コヒーレンスの問題は、適切な解決策が見つかるまで、長期間にわたって研究されてきました。
フェーズボコーダの歴史
- - 初期のフェーズボコーダ: Flanagan & Golden(1966)によって提案された最初のフェーズボコーダは、各周波数ビンの位相間で水平コヒーレンスを維持するアルゴリズムを採用しましたが、垂直コヒーレンスは考慮されていませんでした。
- - STFT再構築の最適化: Griffin & Lim(1984)は、振幅変更後のSTFT表現から音響信号を再構築する最適な方法を提案しました。これは、変更されたSTFTがコヒーレントでなくても、それに最も近い音響信号を生成する手法です。
- - 垂直コヒーレンスの解決: Laroche & Dolson(1999)は、周波数ビン間の位相的整合性を保つ簡単な方法を提案しました。これは、タイムスケーリング操作の品質を大幅に向上させる画期的な進歩でした。
- - 水平コヒーレンスの解決: Röbel(2003)は、発音時の水平位相コヒーレンス維持を可能にする手法を提案しました。これにより、より自然な音質での時間伸縮が可能となりました。
- - ソフトウェア実装: これらの技術を統合したソフトウェア実装例として、IRCAM SuperVPが挙げられます。
音楽における応用
フェーズボコーダは音楽制作においても広く活用されています。
- - トレヴァー・ウィシャートの「Vox V」は、人間の声をフェーズボコーダで分析・変換した作品です。
- - ロジャー・レイノルズの「Transfigured Wind」では、フルート音の時間伸縮にフェーズボコーダが使用されました。
- - 商用音楽制作では、ピッチ修正ソフトウェア「Auto-Tune」の動作原理にもフェーズボコーダが応用されています。
関連技術
フェーズボコーダに関連する技術としては、以下のようなものが挙げられます。
まとめ
フェーズボコーダは、
音声信号の時間伸縮やピッチ変換を可能にする強力な技術であり、その発展は音楽制作や
音声処理の分野に大きな影響を与えてきました。
位相コヒーレンスの問題に対する長年の研究を経て、現在では非常に高品質な変換が可能となっています。
出典・参考文献
- - Dudley, Homer (1939), “The vocoder”, Bell Labs Record 17: pp. 122–126
外部リンク
- - The Phase Vocoder: A Tutorial, http://www.panix.com/~jens/pvoc-dolson.par
- - New Phase-Vocoder Techniques for Pitch-Shifting, Harmonizing and Other Exotic Effects, http://www.ee.columbia.edu/~dpwe/papers/LaroD99-pvoc.pdf
- - “Phase Vocoder”, Guitar Pitch Shifter, http://www.guitarpitchshifter.com/algorithm.html#33
ソフトウェア
- - AwesomeBox, https://web.archive.org/web/20110709004823/http://decabear.com/awesomebox.html