フー・ツォン

フー・ツォン

中国・上海に生まれたピアニスト、フー・ツォン（傅 聰、1934年3月10日 - 2020年12月28日）は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて国際的な舞台で活躍した音楽家です。彼の生涯は、激動の時代を生き抜いた中国人インテリの系譜と、卓越した音楽的才能が交差するものでした。

生い立ちと初期教育

フー・ツォンは、著名な文学者で翻訳家でもあった傅雷を父に持つ家庭に育ちました。コスモポリタンな環境の中で、幼少期からピアノに親しむ機会を得ます。初めて本格的な手ほどきを受けたのは、上海交響楽団の創設者として知られるイタリア人音楽家マリオ・パーチからでした。

ワルシャワでの研鑽と国際的評価

音楽への情熱をさらに深めるため、彼は1953年にポーランドへ渡り、ワルシャワ音楽院に入学します。そこで、ショパン演奏の権威であるズビグニェフ・ジェヴィエツキ教授に師事しました。ジェヴィエツキからは、特にショパンのマズルカにおけるリズムの機微や、その音楽に込められたポーランドの民族精神について集中的な指導を受けました。この学びは、彼のその後の芸術家としての根幹を形成することになります。

ワルシャワでの研鑽の成果は、1955年に開催された第5回ショパン国際ピアノコンクールで結実します。彼は見事第3位に入賞しただけでなく、そのマズルカの演奏が高く評価され、ポーランド・ラジオ賞、通称マズルカ賞を受賞しました。これは、若きフー・ツォンがショパンの作品、特にマズルカの解釈者として世界に認められた瞬間でした。

亡命と国際舞台での活躍

順調にピアニストとしてのキャリアを歩み始めた矢先、祖国中国では文化大革命が吹き荒れ、父傅雷を含む多くの知識人が迫害の対象となりました。両親を失うという悲劇的な出来事により、彼は中国への帰国を断念せざるを得なくなり、1960年には活動の拠点をロンドンに移しました。以降、フー・ツォンはロンドンを基盤として、ヨーロッパ各国はもちろんのこと、アジア、南北アメリカなど世界中で活発な演奏活動を展開します。

芸術性と評価

フー・ツォンは、特にショパンとモーツァルトの演奏で絶大な評価を得ました。彼のショパン演奏は、深い情緒と哲学的な思索に満ちており、その唯一無二の解釈は多くの人々を魅了しました。著名な作家ヘルマン・ヘッセは、フー・ツォンこそがショパンを真に理解し、正しく演奏できる唯一のピアニストであると賞賛したと言われています。また、モーツァルトのピアノ協奏曲においては、その透き通るような音色と、古典的な均衡の中にも個性光る表現を見せました。さらに、ドビュッシーなどのフランス近代音楽においても、独自の色彩感と浮遊感のある解釈を示し、評価を得ています。

音楽家たちとの交流

音楽界の多くの著名なピアニストたちとも深い交流がありました。マルタ・アルゲリッチ、レオン・フライシャー、ラドゥ・ルプーといった世界的巨匠たちが彼の音楽性と知性を高く評価し、友人として親交を結んでいました。特にアルゲリッチとは共演することも多く、日本の別府で開催されるアルゲリッチ音楽祭にも招かれて、共に舞台に立っています。ラドゥ・ルプーは、フー・ツォンの作品に対する鋭い洞察力や、彼がピアノ界全体に与えた影響力の大きさを認めていたと語っています。

晩年と死

晩年に至るまで、フー・ツォンはその精力的な演奏活動や、次世代のピアニストを育成するためのマスタークラス開催を続けました。しかし、2020年12月28日、世界中で猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症により、長年活動の拠点としていたロンドンでその生涯を閉じました。

彼の人生と音楽は、父傅雷が息子に宛てた手紙をまとめた書籍『君よ弦外の音を聴け』や、ピアニスト森岡葉氏による評伝『望郷のマズルカ』などに詳しく記されており、偉大な芸術家の軌跡を知る貴重な資料となっています。

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