ブランの航海

ブランの航海：ケルトの異世界探訪譚

『ブランの航海』（または『フェヴァルの息子ブランの航海』）は、8世紀に成立した中世アイルランドの説話です。一般的には「航海譚（イムラヴァ）」として知られていますが、実際には海神マナナン・マクリルが支配する異界への探訪を描いた「冒険譚」（echtra）に分類されるべき作品とされています。中世の説話目録にも『ブランの冒険』という題名で記録されています。

成立と原典

この物語は、7世紀後期から8世紀初期に成立したと考えられています。残念ながら現存はしていませんが、8世紀の古写本《ドルム・シュネフタの冊子》に収録されていたことがわかっています。

あらすじ

物語は、フェヴァル王の息子ブランが、ケルトの異界へと旅立つ場面から始まります。ある日、ブランが城の近くを散策していると、美しい音楽が聞こえてきて眠りに落ちてしまいます。目覚めると、そこには「白い花を咲かせた銀の枝」が置かれていました。

王宮に戻ると、不思議な衣装をまとった女性が現れ、その枝に生えるリンゴの木があるエヴァン／エヴナの国について歌い始めます。そこは「苦悩も悲しみも、死も病も衰弱もない」常春の国であり、「豊潤の国（アルクセフ）」と呼ばれ、「竜石と水晶が降り注ぐ」場所です。また、「女の国（tír na m-ban）」であることも示唆されます。

女性はブランにエヴナへの旅を命じ、枝を持ち去ります。ブランは、9人編成の3つの隊を率いて出発し、乳兄弟たちも各隊長として同行します。二日二晩の航海の末、海神マナナーン・マクリルが現れ、戦車に乗って息子のモンガーンの誕生を予言します。マナナーンは、ブランたちが大海原を航海していると思っている場所が、海神にとっては花が咲き誇る草原のような国、「喜びの原（マグ・メル）」であると説明します。異界と現実世界が交錯する場所で、マナナーンは詩を語り、「女の国」が近いことを告げます。

しかし、ブランの一行は目的地に着く前に、「喜びの島（Inis Subai）」に立ち寄ります。そこで斥候を一人派遣しますが、彼は絶え間なく笑い続ける島民と接触し、自身も笑うだけの人間になってしまいます。置き去りにせざるを得なくなった一行は、ついに「女の国」に到着します。

女王はブランたちを歓迎しますが、上陸をためらうブランに糸玉を投げつけます。糸玉はブランに吸い付き、女王によって船は陸へと引き寄せられます。大きな館に招かれたブランたちは、「男女のための27のベッド」が用意された部屋で歓待を受けます。時が経つのも忘れ、喜びのひとときを過ごしますが、実はそこでは長い年月が過ぎ去っていたのです。

やがて、隊員の1人であるネフターンが故郷を恋しがります。ブランは帰還を決意しますが、女王はそれを後悔すると告げ、喜びの島に置き去りにした隊員を連れ帰ること、そしてアイルランドに近づいても地に足を触れないことを忠告します。ブランは岸にいる人々に名乗りを上げますが、「ブランの航海」は遠い昔の物語として語り継がれているだけでした。ネフターンは我慢できずに船から飛び降りてしまいますが、陸に足を踏み入れた途端、灰となってしまいます。ブランは物語をオガム文字に刻み、後世に残したとされています。

比較文学

この物語の結末は、日本の『浦島太郎』の伝承とよく似ています。また、『聖ブレンダンの航海』や『マイル・ドゥーンの航海』といった他のアイルランドの「航海譚」とも共通点が多く見られます。

例えば、ブランとマイル・ドゥーンの航海では、笑いの島に遭遇し、一人が置き去りにされます。また、ブランは異界に常に歌う鳥がいると告げられますが、聖ブレンダンも同様の鳥たちに遭遇し、マイル・ドゥーンも鳥でいっぱいの木々を目にします。

しかし、これらの共通点は表面的なものであり、ブランの冒険はケルトの異世界探訪をテーマとしている点で、教会的な着想による純正の航海譚とは本質的に異なるとする学者もいます。ただし、航海譚が冒険譚など、アイルランド古来の文学から限定的に要素を借用していることは否定できません。

その他の影響

『ブランの航海』は、聖ブレンダンの航海の伝説にも影響を与えたと考えられています。また、ウェールズの古典『マビノギオン』の一編「スィールの娘ブランウェン」との比較研究も行われています。

さらに、アイルランドの航海譚には、『オデュッセイア』や『アエネーイス』といったギリシア・ローマ古典の影響が見られるとする指摘もあります。


『ブランの航海』は、ケルトの神話と異世界観を色濃く反映した、魅力的な物語です。

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