ホルスト・ヴェッセル

ホルスト・ヴェッセル（Horst Wessel、1907年 10月9日 - 1930年2月23日）は、ドイツの政治家であり、国民社会主義ドイツ労働者党（ナチ党）の準軍事組織である突撃隊（SA）の隊員でした。突撃隊における最終階級は突撃隊少尉（SA-Sturmführer）。彼は敵対するドイツ共産党の戦闘部隊員によって殺害されたため、ナチ党のプロパガンダにおいて「殉教者」として英雄化され、その存在は党勢拡大に利用されました。特に、彼が執筆した詩がナチ党歌「旗を高く掲げよ」（通称「ホルスト・ヴェッセル・リート」）の歌詞に採用されたことは、彼の名を党内に広く知らしめることとなりました。

生い立ちと政治活動への参加

ヴェッセルは1907年 10月9日、福音主義教会の牧師ルートヴィヒ・ヴェッセル博士の子としてヴェストファーレン地方のビーレフェルトに生まれました。父の転任に伴い、1913年にはベルリンへ移住。青年期には保守系や右派系の団体に関わるようになり、1923年には保守政党の青年組織「ビスマルク青年団」や、ヘルマン・エアハルトが率いる右翼団体「ヴィーキング同盟」に加入しています。

1926年にはベルリン大学法学部に入学しますが、同年12月にはナチ党および突撃隊に入党。学業よりも政治活動に傾倒し、1928年には大学を中退してタクシー運転手などで生計を立てるようになりました。

突撃隊での活動と昇進

ベルリンの突撃隊第4連隊第1中隊に配属されたヴェッセルは、その活動において頭角を現します。1929年には第54小隊の小隊長に任命され、その後、その小隊が第4連隊第5中隊に昇格した際、ヴェッセル自身も中隊長に昇進しました。彼が指揮を執った中隊が管轄するベルリンのフリードリヒスハイン区は、当時ドイツ共産党の勢力が強い地域であり、日常的に両党の衝突が発生していました。

殺害事件

1930年 1月14日、ヴェッセルは共産党の準軍事組織である赤色戦線戦士同盟の隊員、アルブレヒト・ヘーラーに銃撃されます。重傷を負ったヴェッセルは病院に搬送されましたが、回復することなく2月23日、22歳で敗血症により死去しました。

この事件の背景には、単なる政治的対立だけでなく、私的なトラブルが絡んでいました。ヴェッセルは当時、娼婦のエルナ・イェニヒェンと同棲しており、その下宿先の大家であるエリザベート・ザルム未亡人と家賃の支払いを巡って揉めていました。ザルム未亡人の亡夫は赤色戦線戦士同盟の隊員であったため、彼女はその縁を頼り、同盟員のヘーラーにヴェッセルへの「プロレタリア的譴責」を依頼しました。しかし、元々政治的な敵対関係にあったヘーラーは、家賃問題とは別にヴェッセルの殺害を決意。エルヴィン・リュッケルトと共にヴェッセルの部屋を訪れ、ドアを開けたヴェッセルに銃を向け、口を貫通する銃弾を撃ち込んだとされています。

「殉教者」としての英雄化

ヴェッセルは、ナチ党ベルリン大管区指導者ヨーゼフ・ゲッベルスが発行する新聞『デア・アングリフ』に政治的な詩を寄稿していました。そのため、彼の死はゲッベルスの関心を強く引き、彼は直ちにヴェッセルをナチズムのための「殉教者」として徹底的に英雄化するプロパガンダを展開しました。ヴェッセルが生前に書いた詩に曲をつけさせ、「旗を高く掲げよ」という党歌として採用。ヴェッセルの死の直前である2月7日の段階で、すでに党集会でこの歌を歌わせるなど、その英雄化は迅速に進められました。

一方、共産党は事件の翌日には、この銃撃を「ヒモ同士のもめ事であり、ヴェッセルはヒモだった」と発表し、事件の政治的な側面を隠蔽し、私的なトラブルとして矮小化を図りました。実際にはヴェッセルは娼婦と同棲していただけでヒモではなかったのに対し、ヘーラーは本当にヒモであったとされています。共産党のこの主張は、ナチ党によるヴェッセル英雄化の動きを一層加速させる結果となりました。

1930年3月1日に行われたヴェッセルの葬儀では、ゲッベルスが中心となって執り行われましたが、共産党員による「ヒモのヴェッセルに最後のハイル・ヒトラー」といった侮蔑的な横断幕の掲示や投石などの妨害行為が発生しました。ゲッベルスは自身のプロパガンダ手法でこれらの妨害も利用し、ヴェッセルを悲劇の英雄として描きました。

当時のナチ党首アドルフ・ヒトラーは、当初はゲッベルスがいつものように死んだ党員を殉教者に仕立て上げている程度にしか見ておらず、ヴェッセルの葬儀には出席していません。しかし、ゲッベルスのプロパガンダと共産党の反発が巻き起こした宣伝戦の中で「ホルスト・ヴェッセル伝説」は広がり、ヒトラーも後にヴェッセルの墓参りを行っています。ヴェッセルの英雄化は、ナチ党の意図だけでなく、共産党の反発による宣伝戦の激化が生み出した産物であったとも言えます。

死後の影響

ナチ党が政権を掌握した後、ホルスト・ヴェッセルの名前はドイツ国内で顕彰されることとなります。彼が死亡した病院は「ホルスト・ヴェッセル病院」と改名され、ベルリンのフリードリヒスハイン区は「ホルスト・ヴェッセル市」という栄誉称号を授与されました。その他にも、地名や施設名にヴェッセルの名が冠される事例が相次ぎました。犯人であるアルブレヒト・ヘーラーは、ナチ党の政権掌握後の1933年9月にフランクフルト・アン・デア・オーダーで射殺されています。

ベルリンにあったヴェッセルと父の墓は、ドイツ再統一後、極右勢力による「巡礼」と、それに反発する極左勢力による破壊行為の対象となり、管理が困難になったため2013年に撤去されました。

ホルスト・ヴェッセルの存在は、ナチ党のプロパガンダがいかに効果的であったか、また、敵対する政党間の宣伝戦がどのように特定の人物のイメージを形成していくかを示す事例として、歴史にその名を留めています。

もう一度検索