マーシャル・サーリンズ

マーシャル・ディビッド・サーリンズ

アメリカの文化人類学者、マーシャル・ディビッド・サーリンズ（Marshall David Sahlins, 1930年 - 2021年）は、文化の持つ根源的な力と、それが人間の社会や歴史をいかに形作るかを探求した第一人者です。彼の研究は、経済人類学、文化進化論、歴史人類学といった分野に大きな影響を与え、非西洋文化の独自性と価値を擁護する視点から多くの議論を巻き起こしました。

生涯と学問的背景

1930年12月27日、イリノイ州シカゴに生まれたサーリンズは、ミシガン大学で文化進化論の提唱者であるレズリー・ホワイトのもとで人類学を学び、学士号と修士号を取得しました。その後、コロンビア大学に進学し、経済史家カール・ポランニーや生態人類学者のジュリアン・スチュワードから深い学術的影響を受けました。1954年に同大学で博士号を取得しています。

博士号取得後は、母校ミシガン大学で教鞭を執りました。1960年代には、当時のアメリカ社会を揺るがしていたベトナム戦争への反対運動に積極的に参加しました。また、この時期にはパリに約2年間滞在し、フランス構造主義を代表する文化人類学者クロード・レヴィ＝ストロースの業績に触れるとともに、社会変革を求める学生たちの運動、いわゆる「五月革命」を間近に経験しました。これらの経験は、彼のその後の研究に影響を与えたと考えられています。1973年からはシカゴ大学に移籍し、長年にわたり研究・教育活動に従事しました。2001年には小さな出版社、Prickly Paradigm Pressの社長に就任するなど、アカデミアの枠を超えた活動も行いました。

主要な研究テーマと貢献

サーリンズの学問の中心にあったのは、文化が人々の認識や行動を規定する力、特に生物学的な要因だけでは説明できない、文化独自の論理や象徴的な体系が社会を動かす仕組みを明らかにすることでした。

経済人類学への貢献

初期の代表作である『石器時代の経済学』（Stone Age Economics, 1974年）などで、彼は新古典派経済学が想定する普遍的な「合理的経済人」のモデルを厳しく批判しました。サーリンズは、経済活動は単なる効率や利得の最大化を目指すものではなく、それぞれの社会が持つ独自の文化的前提、価値観、親族関係といった要素に深く根ざしていることを論じました。彼は、人類の歴史の大部分を占める狩猟採集民社会が、必ずしも貧困の中で暮らしていたわけではなく、特定の文化的原理に基づいた独自の「豊かさ」を持っていたことを示唆し、大きな反響を呼びました。

文化進化論の再構築

『進化と文化』（Evolution and Culture, 1960年）において、サーリンズはレズリー・ホワイトらの提唱した文化進化論を独自の視点から再構築しました。彼は社会進化を、文化システムが複雑さや組織性を高め、環境への適応度を増していく「一般進化」と、文化が特定の環境や歴史的状況の中で、他の文化との交流などを通じて多様な経路をたどり発展していく「特殊進化」に区別しました。この区分は、文化の多様性を説明する上で重要な枠組みを提供しました。

歴史人類学の開拓

1970年代半ば以降、サーリンズは人類学と歴史学の交錯する領域に関心を深めました。特に『人類学と文化記号論』（Culture and Practical Reason, 1976年）や『歴史の島々』（Islands of History, 1985年）などの著作で、彼は文化が歴史的出来事をどのように解釈し、自らの歴史的な物語やアイデンティティを創造していくのかを考察しました。太平洋地域の文化、特にフィジーやハワイを事例に、歴史は単なる客観的な出来事の連続ではなく、それぞれの文化が持つ象徴体系や構造によって意味づけられ、再構成されるプロセスであることを明らかにしました。

クック船長死亡論争

1990年代後半には、キャプテン・クックが1779年にハワイで殺害された事件を巡り、スリランカ出身の文化人類学者ゴビ・オベーセーカラとの間で有名な論争を展開しました（How "Natives" Think: About Captain Cook, for Example, 1995年）。この議論の核心は、非西洋社会の人々の行動や「理性」をいかに理解するかという、人類学の根本的な問題にありました。オベーセーカラが、ハワイの人々が西洋人と同じようなプラグマティックな思考様式を持っていたと主張し、西洋中心的な見方が彼らを非理性的に描写すると批判したのに対し、サーリンズは、ハワイ文化は西洋文化とは異なる独自の論理や象徴体系を持っており、その異質性こそを理解することの重要性を説きました。彼は、ハワイの人々がクックを神と見なしたという解釈を擁護し、非西洋文化の「理性」は西洋的なそれとは異なる形で存在し、等価な価値を持つと主張しました。この論争は、異文化理解における解釈論的アプローチと合理主義的アプローチの対立として、人類学史において重要な位置を占めています。

影響と評価

マーシャル・サーリンズは、その該博な知識と鋭い分析力、そして挑発的な論考によって、現代人類学に計り知れない影響を与えました。彼の思想は、経済人類学における非市場経済の研究、文化進化論における文化の多様性理解、そして歴史と文化の相互作用を探る歴史人類学の発展に多大な貢献をしました。アナーキスト人類学者として知られるデヴィッド・グレーバーなど、多くの著名な研究者を育てました。1998年には、イギリス王立人類学協会のトーマス・ハックスリー記念賞を受賞するなど、国際的にも高く評価されました。

2021年4月5日、生まれ故郷であるシカゴで90年の生涯を閉じました。彼の残した膨大な著作と研究は、今なお多くの研究者に新たな示唆を与え続けています。

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