ミルグラム実験

ミルグラム実験（英: Milgram experiment）は、権威からの指示に対する人間の服従行動を調査した社会心理学の古典的な実験です。アイヒマン実験やアイヒマンテストとも呼ばれ、約半世紀にわたり繰り返し再現されてきた模範的な研究とされています。

この実験は、1963年にアメリカのイェール大学に所属していた心理学者、スタンレー・ミルグラムによって実施され、同年の学術誌でその詳細が報告されました。

実験の背景

実験の契機となったのは、ナチスによるホロコーストの主要責任者の一人であったアドルフ・アイヒマンの裁判（1961年）です。裁判で描き出されたアイヒマンの姿が、特異な人格者というよりも、命令に忠実な平凡な公務員であったことから、「普通の市民でも特定の状況下では非人道的な行為に手を染めるのか」という、人間性の根幹に関わる疑問が提起されました。ミルグラム実験は、この疑問に科学的に迫ろうと試みられたものです。

実験の設計と手順

実験には、新聞広告で募集された「記憶に関する実験」の参加者として、20歳から50歳の多様な教育背景を持つ男性が集められました。彼らには報酬が約束されていました。

被験者には、実験が「学習における罰の効果」を測るもので、「教師役」と「生徒役」に分かれると説明されました。実際には被験者が「教師役」となり、「生徒役」はサクラ（実験協力者）が演じました。被験者は事前に45ボルトの電気ショックを体験し、生徒の感じるであろう痛みを想像させられました。その後、「教師」と「生徒」は別々の部屋に分けられ、インターフォンを通じてのみコミュニケーションを取る状況になりました。被験者には物理的な強制や精神的な脅迫はありませんでした。

「教師」は単語リストを読み上げ、「生徒」がその記憶力を試す質問に答えます。「生徒」が間違えるたび、「教師」は指示に従い電気ショックを与えなければなりません。電圧は45ボルトから開始され、間違いごとに15ボルトずつ上昇し、最大で450ボルトまで設定されていました。スイッチ盤には「軽い衝撃」から「危険: 苛烈な衝撃」、そして最高レベルといった強度を示す言葉が添えられていました。

実際には「生徒」に電気ショックは与えられませんでしたが、各電圧レベルに応じて、あらかじめ録音された苦痛のうめき声や叫び声がインターフォンから流されました。電圧が上がるにつれて、生徒の苦痛の訴えは激しさを増し、最終的には無反応になるという演技がなされました。

被験者が実験の続行に躊躇したり中止を申し出たりした場合、白衣を着た実験者が権威的な態度で、定型的な言葉を使い続行を強く促しました。また、「生徒に後遺症は残りません」「責任は実験者側が負います」と告げ、被験者の不安を取り除こうとしました。被験者が実験者の4段階の指示後も中止を希望した場合のみ実験は終了し、それ以外の場合は450ボルトまで続けられました。

衝撃的な結果

実験前に行われた予測アンケートでは、最大電圧までショックを与える被験者はごくわずかだろうと予想されていました。

しかし、実際の結果はこれを大きく覆すものでした。最初の実験（「教師」と「生徒」が別室）では、被験者40人中26人、実に65%が用意された最大電圧である450ボルトまでスイッチを押し続けました。全ての被験者は途中で実験に疑念を抱き、苦悩や葛藤を示しましたが、実験者の指示と責任の免除によって続行を促され、300ボルトに達する前に中止した者はいませんでした。

さらに、実験設定を変え、「教師」と「生徒」を同じ部屋にしたり、「教師」が生徒に直接触れて罰を与えるようにしたりした場合も実験が行われました。これらの条件下では、生徒の苦痛をより直接的に感じられるため服従率は低下しましたが、それでも同じ部屋では40%、直接接触では30%の被験者が最大電圧まで達しました。

結論と影響

この実験は、平凡な人々でも、権威者の明確な指示と、自身の行為に対する責任が軽減される状況下では、自身の良心に反する非人道的な行為を容易に行ってしまう可能性があることを強烈に示しました。この、権威に対する服従が人の行動に及ぼす強い影響は、「ミルグラム効果」とも呼ばれます。

ミルグラム実験は、人間の行動原理に深く迫る重要な研究として高く評価されましたが、同時に、被験者に与えた心理的負担から倫理的な批判も多く寄せられました。その結果は現代社会における権威と個人の関係、そして人間の良心のあり方について、今なお重要な問いを投げかけ続けています。

この実験は社会心理学の古典として多くの研究や議論に影響を与え、高い再現性も確認されています。

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