モンゴルのヒップホップ

モンゴルにおけるヒップホップの隆盛

モンゴルのヒップホップは、単なる音楽ジャンルを超え、社会変革や文化的なアイデンティティを表現する重要な手段として発展してきました。本稿では、モンゴルのヒップホップがどのように形成され、独自のスタイルを確立してきたのか、その歴史と社会的背景を詳しく解説します。

社会背景

モンゴルは1924年から社会主義政権下にありましたが、1990年の民主化運動を経て市場経済へと移行しました。この変化は、西側諸国のポピュラー音楽、特にヒップホップが流入する大きなきっかけとなりました。1997年には居住の自由化により都市部、特に首都ウランバートルへの人口集中が進み、2018年には総人口の約半数がウランバートルに居住するようになりました。

しかし、急速な都市化は、集合住宅に住む都市住民と、周辺のゲル地区（遊牧民の伝統的な移動式住居であるゲルが密集するエリア）に住む流入者との間に軋轢を生みました。2000年代以降の鉱山開発による経済成長は、教育格差や所得格差を拡大させ、ゲル地区は経済問題、環境汚染、失業率の高さといった社会問題が集中する場所となり、ヒップホップが隆盛する土壌となりました。

歴史

1990年代：黎明期

1990年代、海外留学経験を持つ裕福層の子女たちが、アメリカのヒップホップ音楽に触れました。モンゴル初のヒップホップDJであるDJ OGは、幼少期をヨーロッパで過ごした経験から、アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュといったアーティストに影響を受けました。また、モンゴル初のビートメイカーであるアナル・ビーツも、留学した親族からヒップホップのカセットテープを聴いたことがきっかけで音楽制作を始めました。

社会主義時代に使われなくなった施設を活用したディスコが誕生し、1994年には本格的なディスコ「ハリウッド」がオープンしました。1995年にはFMラジオやケーブルテレビが開局し、欧米の音楽がより身近なものになりました。1996年にはDJが活躍するクラブ「モトロック」、1997年にはヒップホップ専門の大型クラブ「TOP10」がオープンし、ヒップホップシーンが形成されていきました。

モンゴルにおけるヒップホップの起源は、1990年代中期にモンゴルに滞在していたジェイソン・ガリバーという人物が、ヒップホップの制作方法を教えたことが始まりとされています。彼から指導を受けたダイン・バ・エンヘやLuminoといったグループが、モンゴル初期のヒップホップシーンを牽引しました。1999年にはクラブ「TOP 10」で、アメリカのラッパー、2Pacを称えるイベントが開催され、モンゴルでのヒップホップの浸透を象徴する出来事となりました。

2000年代：発展期

2000年代前半は、Luminoが確立したラブソングのラップが流行しました。初期の楽曲は海外のヒップホップの模倣が多かったものの、サンプラーがない時代には、シンセサイザーで原曲を再現するといった工夫が凝らされていました。公民館のような役割を果たす文化クラブでディスコやクラブが増加し、2007年には900を超えるまでになりました。また、FMラジオ番組やウェブ掲示板でのラップバトルからプロデビューするアーティストも現れ始めました。

民主化後の社会問題を反映した楽曲も制作され、政治家の汚職や環境汚染を批判する内容の曲が発表されました。2000年代後半には、伝統音楽とヒップホップを融合させる試みも始まりました。

2010年代以降：多様化と国際化

2011年には、中国の内モンゴル自治区のラッパーとのコラボレーションが始まりました。YouTubeなどの動画共有サービスの普及により、モンゴルのアーティストのミュージックビデオが内モンゴルでも視聴されるようになりました。また、ブリヤートのアーティストもYouTubeに楽曲をアップロードし、モンゴルのアーティストとの交流が活発化しました。

2010年代後半には、トラップ、チルアウト、ジャズなど、多様なジャンルのヒップホップが生まれました。2018年には、エスニック・ヒップホップの大規模プロジェクトであるTOONOT（トーノト）が発表され、モンゴル、中国、ロシアのモンゴル系民族のラッパーが参加し、伝統音楽とヒップホップを融合させた新しい音楽スタイルを提示しました。モンゴル・ヒップホップは国外からも注目を集め、ドキュメンタリー映画やラジオ番組、写真集などが制作されました。

特徴

地理的特徴

モンゴルの厳しい気候条件は、ヒップホップ文化の発展に影響を与えました。冬にはマイナス30度を下回る気温となるため、ストリートでのサイファー（即興のラップバトル）は普及せず、ディスコやクラブといった屋内での活動が中心となりました。その結果、ラジオ番組でのラップバトルや、インターネット掲示板でのテキストによるラップバトルが盛んになり、独特の文化が形成されました。

近年、スマートフォンの普及により、ネット上でのフリースタイル・バトル文化が始まり、国外留学中にバトルで優勝しプロデビューを果たす者も現れました。また、モンゴルの人口が少ないことから、CDの売上が伸びにくいため、YouTubeにPVをアップロードしてライブに集客するというビジネスモデルが主流となっています。

ウランバートルでは、裕福な都市部出身のラッパーと、貧しいゲル地区出身のラッパーが対立することがあります。これは、貧富の格差だけでなく、生活習慣や音楽スタイルの違いにも起因しています。ゲル地区のラッパーはモンゴル語を重視し、伝統的な頭韻を好む一方で、都市部出身のラッパーは英語を多用し、脚韻を重視する傾向にあります。

言語的特徴

モンゴル語は子音が重なりやすい言語構造をしており、ラップのリズムをパーカッシブにする効果があるとされています。また、音節末に子音が集まる特徴から、脚韻を踏むのが難しいとされています。

伝統文化との関係

モンゴルには、語り部が物語を暗誦する口承文芸の伝統があり、物語を覚えやすくするために頭韻が使われてきました。社会主義時代には口承文芸の収集が行われ、多くの作品が活字化されました。また、近代詩においても韻が用いられており、これらの伝統は、ヒップホップのラップに影響を与えていると考えられています。

モンゴルの口承文芸には、勝負の要素も含まれており、デンベーという数字を使った指遊びや、子供たちの掛け合い歌などが存在します。ラップバトルが始まった当初は、ラップ・デンベーとも呼ばれていました。

伝統音楽との融合も盛んで、馬頭琴やホーミーといった民族楽器がヒップホップに取り入れられています。

社会的影響

1990年代から2000年代にかけて、ヒップホップ系のファッションは、自由と豊かさの象徴として捉えられました。また、ヒップホップアーティストは選挙活動に参加するなど、政治的影響力も持つようになりました。

主要なアーティスト

モンゴルにおけるヒップホップの初期グループとして、社会批判をラップしたゲル地区出身のダイン・バ・エンヘと、ラブソングを歌った裕福層出身のLuminoがいます。この2つのグループの対立構造は、その後のシーンに大きな影響を与えました。

ダイン・バ・エンヘの中心人物であったMCITは、モンゴルにおけるヒップホップの普及に貢献したプロデューサーでもありました。LuminoのメンバーであったQuizaは、ソロアルバムで高度な韻踏みの技術を披露し、モンゴルの名曲にも選ばれています。

2000年代初頭に登場したICE TOPは、幅広い作風でLuminoと人気を二分しました。また、TATARはラブソング系で人気を博し、Luminoの後継者的な存在とされています。

女性ラッパーも活躍しており、初期の女性ラッパーであるジェニーは、政治家の変化を批判する内容の曲を15歳で作りました。その他にも、Mrs M、NMN、AKOといった女性ラッパーたちが、独自のスタイルを確立しています。

社会問題に焦点を当てたラッパーとして、BIG GeeやDesantがいます。特にBIG Geeは、モンゴルで最も有名なラッパーの一人となりました。

内モンゴルではプアーマン、オンツォグ・グロス、パルチザンなどが活躍しています。ブリヤートでは、アリハン・ゼーとサリョーナのコンビが有名です。

まとめ

モンゴルのヒップホップは、社会の変化や伝統文化を取り込みながら、独自の発展を遂げてきました。都市と地方の格差、世代間の対立、民族のアイデンティティなど、さまざまな要素が絡み合い、豊かな表現力を持つ音楽文化として成長しています。今後も、モンゴル・ヒップホップは、国内外で更なる発展を遂げていくことが期待されます。

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