モーリュ

モーリュ（Μῶλυ）

モーリュは、古代ギリシア神話に語り継がれる神秘的な薬草であり、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の中で重要な役割を果たします。英雄オデュッセウスが故郷への長い帰路の途中、魔女キルケーが支配するアイアイエー島に立ち寄った際のエピソードの中心にこの植物は登場します。

物語の中で、キルケーは巧みな誘いを用いてオデュッセウスの部下たちを自身の館へと招き入れました。そこで彼女は、彼らに用意した飲み物に恐ろしい変身の魔術を混ぜ込み、さらに自らが持つ杖で触れることにより、部下たちを哀れな豚の姿へと変えてしまいます。この恐るべき事態から間一髪で逃れた部下の一人、エウリュロコスから一部始終を聞いたオデュッセウスは、仲間の窮地を救うため、危険を承知で単身キルケーの館へと向かう決意を固めます。

キルケーの館へと急ぐオデュッセウスの前に、神々の伝令者であるヘルメースが現れます。神はオデュッセウスの勇気を称賛し、そして魔女の強力な魔術に対抗するための唯一の手段として、特別な力を持つ薬草「モーリュ」を彼に授けました。ヘルメースは、モーリュの驚くべき性質と、それをどのように用いるべきかについて詳しく説明します。曰く、この草は地中深くに黒い根を張り、白い花を咲かせるが、凡人には掘り起こすことすら叶わない神聖なものであると。

ヘルメースからモーリュと、魔術を退けるための具体的な助言を受けたオデュッセウスは、満を持してキルケーの館へと入ります。キルケーは彼にも部下たちと同じように、変身の魔法が込められた飲み物を差し出しますが、オデュッセウスはヘルメースの指示通り、受け取ったモーリュをその飲み物に混ぜて一気に飲み干しました。予想に反して魔法が効かず、全く姿が変わらないオデュッセウスの姿に、キルケーは心底驚愕します。

魔法が破られたことを悟ったキルケーは、次なる手段として杖で彼を打とうとしますが、オデュッセウスはヘルメースから授けられたもう一つの助言に従い、剣を抜いてキルケーに襲いかかります。これにより、キルケーはついに自らの敗北を認め、オデュッセウスに恭順の意を示しました。その後、オデュッセウスはキルケーに誓約させ、魔法を解かせたことで、無事に部下たちを人間の姿に戻すことができました。

この物語に登場するモーリュが具体的にどのような植物であったのかについては、古くから様々な議論が交わされてきました。その候補としては、独特の香りを放つルー（芸香）や、美しい花を咲かせる野生のシクラメン、あるいは特定の種類のニンニクなどが挙げられることがあります。しかし、神話の中で描かれるモーリュの神聖で魔法を無効化する力といった性質は、現実の植物の範疇を超えたものであるため、その正体を特定の植物に断定することは難しく、あくまで神話的な存在として理解されるべきでしょう。モーリュは、知恵と神々の助けが強大な魔力をも凌駕しうることを象徴する存在として、ギリシア神話における有名なエピソードの一つに彩りを添えています。

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