ルイス・ウェイン

ルイス・ウェイン：猫と狂気の間で揺れ動いた天才画家

1860年、ロンドンに生まれたルイス・ウェインは、猫を題材とした作品で広く知られるイギリスの画家、イラストレーターです。彼の生涯は、芸術的成功と精神疾患という対照的な側面によって彩られています。初期の写実的な動物画から、晩年の抽象的な、幾何学模様を多用した独特な猫の絵まで、その作品群は彼の内面世界の変化を映し出しているかのようです。

穏やかな少年時代からフリーランスの画家へ

ウェインはロンドンで6人兄弟の長男として生まれました。5人の妹に囲まれ、比較的穏やかな少年時代を過ごしたようです。しかし、彼は学校を抜け出してロンドン市内を散策するなど、型にはまらない一面も持っていました。ウエスト・ロンドン美術学校を卒業後、短期間教師を務めたのち、父親の死をきっかけに、生活を支えるためフリーのイラストレーターとしての道を歩み始めます。

当初は動物画や風景画を『イラストレイテッド・スポーティング＆ドラマティック・ニュース』や『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』などの雑誌に提供していました。1880年代には、イギリスの建物や家畜などを詳細に描いた作品も手がけています。犬の肖像画で生計を立てようと考えていた時期もあったようです。

妻と愛猫ピーター、そして創作の源泉

23歳のウェインは、10歳年上の妹の家庭教師、エミリー・リチャードソンと結婚しました。年齢差は当時のイギリスではやや問題視されるものでしたが、二人は北ロンドンのハムステッドで幸せな生活を始めます。しかし、エミリーはガンにより結婚3年後に亡くなってしまいます。

エミリーは愛猫ピーターを可愛がっており、ウェインは妻の余興としてピーターに眼鏡をかけさせたり、本を読ませているようなポーズをとらせたりしていました。後にウェイン自身、ピーターを「私の画家としての創造の源であり、後の仕事を決定づけた」と語っており、この頃の多くの作品はピーターがモデルとなっています。

1886年、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に掲載された擬人化された猫の絵は、彼のキャリアにおける転機となりました。『猫達のクリスマス』と題されたこの作品には150匹もの猫が登場し、ウェイン独特のユーモラスな世界観が垣間見えます。しかし、この時点ではまだ猫たちは人間のように二足歩行をしたり、衣服を着たりするわけではなく、後の作品に見られるような人間らしさは控えめでした。

猫の擬人化と商業的成功

その後、ウェインの描く猫たちは劇的な変化を遂げます。後ろ足で立ち上がり、人間のように服を着こなし、豊かな表情で様々な行動をするようになりました。楽器を演奏したり、紅茶を飲んだり、トランプで遊んだりする猫の姿は、ヴィクトリア朝時代の流行である動物の擬人化を鮮やかに表現しています。ウェインの作品はグリーティングカードや戯画などにも用いられ、大衆的な人気を獲得しました。

30年以上にわたり、ウェインは数百点もの作品を制作し、100冊以上の児童書の挿絵なども手がけました。「ルイス・ウェイン年鑑」も出版され、彼の名は広く知られるようになりました。彼の作品には、時代風刺や皮肉も含まれており、複雑な社会への鋭い洞察が感じられます。彼はレストランなどでスケッチブックを持ち歩き、そこにいる人々を猫に置き換えて描くことで、ユーモラスな作品を生み出していました。

動物愛護活動と経済的な苦労

ウェインは動物に関連した慈善活動にも積極的に参加し、「口のきけない我が友連盟評議会」、「猫保護協会」、「反生体解剖協会」などで活動していました。「全国猫クラブ」の議長を務めた時期もありました。しかし、人気画家であったにもかかわらず、彼は常に経済的な苦労を抱えていました。母と妹たちの生活費を支えなければならず、熱心に仕事をしていましたが、経済感覚に乏しく、作品を安く買いたたかれたり、不利な契約を結ばされたりすることもありました。1907年のニューヨーク旅行では、作品は高く評価されたものの、衝動的な買い物のために帰国時にはかえって金欠になってしまいました。

統合失調症の発症と晩年の作品

1907年以降、ウェインの作品の人気は徐々に衰え始め、それと同時に彼の精神状態も不安定になっていきます。現実と空想の区別がつかなくなり、言動が支離滅裂になることも増えました。最終的に、彼は統合失調症を発症してしまいます。妄想に苦しみ、性格は穏やかだった彼から、疑り深く敵意に満ちたものへと変化していきました。

1924年、姉妹によってスプリングフィールド精神病院に収容されたウェインですが、H・G・ウェルズらの尽力により、より良い治療環境へと移されます。王立ベスレム病院、そしてナプスバリー病院へと転院し、そこで彼は生涯の最期を迎えるまで過ごしました。ナプスバリー病院には猫が飼われており、ウェインは時折、以前のように猫の絵を描いていました。しかし、晩年の作品は、原色を多用した抽象的な幾何学模様が特徴的で、初期の作品とは大きく異なる様式となっています。

ウェインの作品の変遷は、精神病理学の教科書で精神症状の悪化を示す事例として取り上げられることがありますが、その制作順序は正確にはわかっていません。彼の伝記作家は、晩年の作品が必ずしも精神状態の悪化を示すものではないと指摘しています。一方で、初期の作品にもすでに精神病的な徴候が見られるという説も存在します。様々な解釈がなされているものの、彼の晩年の作品は、独自の芸術表現として高い評価を受けています。

名声とその後

H・G・ウェルズはウェインについて、「彼は自身の猫をつくりあげた。猫のスタイル、社会、世界そのものを創造した」と称賛しました。彼の作品は、現在も多くの人の心を捉え続けています。2021年には、彼の生涯を描いた映画『ルイス・ウェイン生涯愛した妻とネコ』が制作され、ベネディクト・カンバーバッチがウェインを演じました。彼の波乱に満ちた生涯と、独特な芸術性は、これからも多くの人々に語り継がれていくことでしょう。

もう一度検索