ルイセンコ論争

ルイセンコ論争：ソ連を覆った疑似科学と政治弾圧の影

ルイセンコ論争は、ソ連で20世紀半ばに起こった、遺伝学を巡る激しい論争とその政治的背景を指します。中心人物であるトロフィム・ルイセンコは、環境要因が遺伝形質に影響を与え、獲得形質が遺伝すると主張しました。これはメンデル遺伝学を否定するものであり、ダーウィン進化論とも異なるものでした。

ルイセンコは、コムギやライムギなどの作物の品種転換を主張するなど、科学的根拠に乏しい主張を繰り返しました。彼の学説は、「自然協力」という概念を提唱し、自然選択を否定するものでした。また、低温処理によって作物の性質を変えられると主張した春化処理もその一例です。

ルイセンコ主義の台頭とスターリンの支援

ルイセンコの主張は、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義と合致する」ものとして受け入れられました。これは、努力すれば必ず成果が得られるという共産主義イデオロギーと合致したためです。スターリンの支援を得たルイセンコは、レーニン全ソ連農業科学アカデミーの長となり、メンデル遺伝学を「ブルジョワ理論」として否定し、多くの遺伝学者を迫害しました。

これにより、数千人もの遺伝学者や生物学者が投獄、解雇、または処刑され、ソ連の遺伝学研究は壊滅的な打撃を受けました。著名な遺伝学者ニコライ・ヴァヴィロフもこの弾圧の犠牲となり、獄死しました。ルイセンコは、自身の学説に反対する学者を「人民の敵」と断罪し、ソ連の科学界を掌握しました。

ルイセンコの主張は、農業生産の向上を約束しましたが、実際には逆効果でした。彼の方法論は非科学的であり、ソ連の農業生産は深刻な被害を受けました。分子生物学や遺伝子工学といった分野も世界から大きく遅れることになりました。

春化処理と農業への影響

ルイセンコが提唱した春化処理は、コムギなどの種子を低温に曝すことで生育を促進させる技術です。彼はこれを遺伝的性質の変化と捉え、従来の遺伝学を否定しました。春化処理自体は古くから存在する技術ですが、ルイセンコは、その効果を誇張し、自身の学説を支持する根拠としました。しかし、実際には、春化処理による収穫量増加の効果は限定的でした。

ルイセンコ主義の終焉

スターリン死後の1953年以降、ルイセンコへの批判が表面化しました。しかし、ニキータ・フルシチョフ政権下でも、ルイセンコは一定の影響力を保持していました。DNAの構造解明など、遺伝学の進歩に伴い、ルイセンコ主義は次第に支持を失っていき、1964年にソ連科学アカデミーで正式に否定されました。

国際的な影響

ルイセンコ主義は、ソ連だけでなく、東ヨーロッパ諸国や中国などにも影響を与えました。これらの国々でも、ルイセンコの学説が採用された時期があり、科学研究や農業に悪影響を与えました。中国では、大躍進政策の中でルイセンコ主義が採用された結果、大飢饉が発生し、数百万人が餓死しました。

日本の状況

日本では、ルイセンコ論争は、科学界で大きな論争を引き起こしました。支持派と反対派が激しく対立し、科学とイデオロギーの対立が浮き彫りになりました。

ネオ・ルイセンコ主義

近年、「ネオ・ルイセンコ主義」という言葉が、遺伝子の役割を過小評価する主張を批判する際に用いられることがあります。これは、ルイセンコ主義が、イデオロギーに偏向した科学の危険性を示す教訓として、現代社会にも示唆を与えていると言えるでしょう。

ルイセンコ論争は、科学と政治、イデオロギーが複雑に絡み合った歴史的事件です。この事件は、科学の独立性と、科学的検証の重要性を改めて認識させる、教訓的な事例となっています。

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