ルーゴン・マッカール叢書

エミール・ゾラと『ルーゴン＝マッカール叢書』：第二帝政期のフランス社会を描く壮大な叙事詩

19世紀フランスを代表する自然主義作家エミール・ゾラ。彼のライフワークであり、自然主義文学の到達点とも言えるのが、全20巻からなる大作『ルーゴン＝マッカール叢書』（Les Rougon-Macquart）です。単に『ルーゴン・マッカール』と呼ばれることもあります。

自然主義文学の理論と実践

ゾラは、ダーウィンの進化論やクロード・ベルナールの生理学研究に強い影響を受け、自然主義文学を提唱しました。その理論は、後年の論文「実験小説論」で体系的にまとめられますが、『ルーゴン＝マッカール叢書』はその実践の場として位置づけられます。バルザックの『人間喜劇』に匹敵する、フランス社会の全貌を描こうとする野心的なプロジェクトだったと言えるでしょう。当初は10巻の予定でしたが、最終的には20巻の大長編となりました。

ルーゴン＝マッカール家：多様な社会階層の肖像

副題に「第二帝政下における一家族の自然的・社会的歴史」とある通り、この叢書は、ルーゴン＝マッカール一家を軸に、フランス第二帝政期の社会全体を描き出そうとしています。1200人を超える登場人物が登場し、政治家から洗濯女まで、当時のフランス社会の様々な階層の人々が生き生きと描かれています。 それぞれの登場人物は、ゾラ独自の系図によって家族関係が示され、彼らの運命が複雑に絡み合っています。

普仏戦争と叢書の変遷

『ルーゴン＝マッカール叢書』の構想が始まった1869年当時、フランスは第二帝政の時代でした。そのため、叢書は「同時代の記録」となるはずでしたが、第1作『ルーゴン家の誕生』の執筆中に普仏戦争が勃発し、第二帝政は崩壊します。この歴史的転換期を背景に、叢書は第二帝政の全歴史を包括的に描くものへと変化していきました。

出版と社会への衝撃

出版当初は、ほとんど売れ行きが芳しくありませんでした。しかし、第7作『居酒屋』の新聞連載が大きな反響を呼び、フランス社会を揺るがす論争を引き起こします。労働者階級を露悪的に描いたという批判が殺到し、連載中止に追い込まれる事態となりました。しかし、翌年の単行本化では異例の5万部を売り上げる大ヒットとなりました。この成功は、自然主義文学の黄金時代到来を告げるものとなります。

『居酒屋』以降の展開と晩年のゾラ

『居酒屋』の成功により、ゾラはパリ郊外に別荘を構え、モーパッサンやユイスマンスら多くの作家が集うようになりました。その後も『ナナ』『ごった煮』『ボヌール・デ・ダム百貨店』『ジェルミナール』といった名作を発表し続けます。しかし、『大地』の出版後には、再び作品内容に対する批判が巻き起こり、自然主義文学の衰退とゾラ自身の作風の変化につながります。晩年のゾラは、自然主義的な作風から離れ、理想主義的な傾向を強めていきました。ドレフュス事件への関与も、彼の理想主義的な姿勢を表す象徴的な出来事と言えるでしょう。

世界への影響

『ルーゴン＝マッカール叢書』は、フランスのみならず、世界中の文学に大きな影響を与えました。イタリアではジョヴァンニ・ヴェルガがヴェリズモ文学を創始し、アメリカではセオドア・ドライサーやスティーヴン・クレインらが自然主義文学作品を発表しました。日本でも大正時代に翻訳され、影響を与えましたが、独自に発展した日本の自然主義とは異なる方向性へと向かっていきました。

主要作品

この叢書には、『ルーゴン家の誕生』、『獲物の分け前』、『パリの胃袋』、『プラッサンの征服』、『ムーレ神父のあやまち』、『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』、『居酒屋』、『愛の一ページ』、『ナナ』、『ごった煮』、『ボヌール・デ・ダム百貨店』、『生きる歓び』、『ジェルミナール』、『制作』、『大地』、『夢』、『獣人』、『金』、『壊滅』、『パスカル博士』など多くの作品が含まれます。これらの作品は、それぞれ独立した物語でありながら、ルーゴン＝マッカール家の歴史を通して、複雑に絡み合い、フランス第二帝政期の社会の多様な側面を立体的に浮き彫りにしています。 日本語訳も数多く出版されていますが、入手困難な作品も多く存在します。

結論

『ルーゴン＝マッカール叢書』は、自然主義文学の傑作であり、フランス第二帝政期の社会を詳細に描いた歴史的にも貴重な作品です。その壮大なスケールと、人間の本性を深くえぐる描写は、現代においても読者を魅了し続けています。

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