ヴィリー・ヘニッヒ

ヴィリー・ヘニッヒ（Emil Hans Willi Hennig、1913年 4月20日 - 1976年 11月5日）は、20世紀を代表するドイツの動物学者であり昆虫学者です。特にハエやカ類を含む双翅目（双翅目）を専門としていましたが、彼の最も重要な功績は、生物の進化史を系統樹の分岐パターンとして厳密に解析し、それを分類体系の基礎とする革新的な手法、すなわち「分岐学」（phylogenetic systematics / cladistics）を創始したことにあります。この新しい系統学は、その後の生物分類学および進化研究に計り知れない影響を与えました。

生涯と研究活動

労働者階級の家庭に生まれたヘニッヒは、早くから動物学に深い関心を示しました。高校時代にはすでに生物の体系的な分類に関する小論を執筆し、地元の博物館の爬虫類学者との交流を通じて研究の道を志します。ライプツィヒ大学で動物学、植物学、地質学を学び、ヘビの研究からキャリアをスタートさせました。大学在学中および卒業後には、ドレスデン動物学博物館で双翅目の権威であるファン・エムデンやギュンターといった研究者たちと交流し、この分野の研究も本格的に開始しました。初期には双翅目のほか、トビトカゲ属に関する論文なども発表しています。その後、ドレスデンの博物館を経て、1937年からはベルリンのカイザー・ヴィルヘルム協会ドイツ昆虫学研究所に勤務しました。1939年にはイルマ・ヴェーネルトと結婚し、3人の息子をもうけています。

戦争とその後のキャリア

第二次世界大戦が始まると兵役に就きましたが、1942年に負傷したため、ベルリンの熱帯医学衛生研究所で昆虫学者としての任務にあたることとなりました。終戦間際にはイタリアに派遣されマラリア対策に従事しましたが、1945年5月の敗戦によりイギリス軍の捕虜となります。しかし、その年の秋には解放され、戦時中に未発表だった自身の分類学研究の成果を、妻の助けを借りながらまとめ上げました。戦後、1945年から1947年にかけてはライプツィヒ大学で指導教官の代理として動物学の講義を担当し、1947年には昆虫学研究所に復帰、1949年には昆虫体系学部門の責任者となりました。

分岐学理論の確立と発表

1950年は、ヘニッヒの名を不朽のものとする分岐学理論が公に発表された記念すべき年となりました。彼はこの年、『系統分類学理論の基礎概論（Grundzüge einer Theorie der phylogenetischen Systematik）』を刊行し、生物の進化的な系統関係を厳密に解析し、それを分類体系の根拠とする「系統分類学」の重要性を力強く提唱しました。この革新的な考え方は、当時の分類学界に大きな波紋を投げかけました。この発表以降、彼は双翅目の詳細な分類研究に加え、系統学の方法論に関する理論的な論文も精力的に発表し続けました。特に彼の著書『Pocket book of zoology』では、無脊椎動物の分類に初めて系統分類学の手法を適用し、その応用範囲を示しました。

冷戦下の選択と晩年

当時のベルリンは東西に分かれており、ヘニッヒは西ベルリンに居住しながらも、ソ連占領地区にあった昆虫学研究所に勤務していました。1961年、フランスへの旅行中にベルリンの壁が建設されつつあるとの報を受け、彼は急ぎ帰国を決断しました。共産主義体制に批判的だった彼は、研究所を離れ西ベルリンにとどまることを選択します。一時的にベルリン工科大学で教職を得た後、アメリカからの招聘を断り、1963年にはシュトゥットガルト自然科学博物館へと移籍しました。シュトゥットガルトでは、晩年まで双翅目の分類学的研究に深く取り組み、多くの重要な論文を発表しました。特に、博物館の科学誌に掲載された双翅目の研究や、旧北区のハエに関する総説、動物学ハンドブックへの寄稿は重要な業績です。また、この地でも分岐学の方法論に関する議論を深め、著名な進化生物学者エルンスト・マイヤーからの批判に応答した1974年の論文「Cladistic analysis or cladistic classification? A reply to Ernst Mayr」は広く知られています。

ヘニッヒの功績は広く認められ、ベルリン自由大学からの名誉博士号（1968年）、テュービンゲン大学からの名誉教授称号（1970年）、さらには国際的な学術賞であるリンネ・メダル（1974年）など、数々の栄誉に輝きました。しかし、晩年は健康状態がすぐれず、1976年 11月5日、心臓発作により急逝しました。

遺産

ヴィリー・ヘニッヒが確立した分岐学は、生物の系統関係を客観的かつ科学的に解析する現代生物学における不可欠な手法となりました。彼の革新的な思考と厳密な分析は、生物多様性の理解を深める上で、今なお重要な指針となっています。双翅目研究における詳細な分類学的貢献もまた、この分野の研究者によって高く評価されています。彼の理論は、生物の進化史に基づいた自然な分類体系の構築を目指す現代系統学の基礎を築きました。

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